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鑑賞日 2025/03/03  登録日 2025/04/08  評点 80点 

鑑賞方法 映画館/神奈川県/横須賀HUMAXシネマズ 
3D/字幕 -/字幕
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ミュージカルの必然

すさまじい力作だし、ホントはもっと高い点をつけてもいいのかも知れませんが、なんというかあちこちにノイズが挿入されていて、いや、それが本作の狙いのひとつなのかも知れませんが、評価しきれないなあと言うのが正直なところです。
いや、自分には評価できないくらいの巨大さがあって、(だってメキシコの社会や人々のメンタリティをどれくらい知ってるかといえば、お恥ずかしい、ということになるわけだし)とりあえず「力作」という程度のコメントしかできないということでもあります。

でも、ぜひ言っておきたいのは、ミュージカルにする必然性がものすごく高い作品だと感じた、ということです。
ミュージカルというのは、というか、映画にミュージカルシーンが必要なのは、言葉と行動だけでは表現しきれないほどの、あふれ出る感情が歌とダンスに置き換わった時に、言語化できない主人公たちの思いや、物語の伝えたいものが、感想としても言語化しきれないような「なにか」として観客にぶつかってくる、その点にあるわけです。
本作の各ミュージカルシーンはまさにそれで、たとえば、女性として努力しても努力しても認められず、賃金も上がらない主人公が、明らかに身勝手なギャングのボスの願いをかなえることで、自分の欲望をかなえようとしつつ、しかし、その奥底には、そのボスの「実は女性になりたいと思って生きてきたんだ」という、存在の根源的な哀しみをくみ取ってしまっていて、同情もしながら、恐怖と自己嫌悪も感じていて、それらがすべて、「ああ!歌って踊る以外にこの感情を表す方法はない!!」という、そういう爆発的な思いが、ビシッと伝わってくるわけです。
ああ、これこそミュージカル!と久々に思わされました。
というか、必然的にミュージカルという手法に至ったんだな、この物語は、と思うのです。

そして、しかし、もう一つ感じるのが、やはり主人公(カルラ・ソフィア・ガスコン、ゾーイ・サルダナ、どっちが主人公かはなかなか判然としないのですが、私はやはりゾーイ・サルダナ扮する弁護士の物語として観てしまいました。)たちにあれこれ無理をさせるギャングのボス、というかエミリア・ペレス。
彼女が身勝手な行動をしながら、いつしか民衆の英雄みたいになっていく展開。その皮肉な展開こそ、この映画の最大の面白ポイントなのでしょうが、そこにはやはり、「ってか、お前今まで何してきたんだよ?」という小市民的な疑問が頭に浮かんでしまい、そんな道徳的なチンケな思いはここでは関係ねえじゃん、と思いつつも、やはり彼女に思い入れるのは自分には障壁が高すぎてしまったんですね。
まあ、しょせん自分の小人物ぶりを思い知らせてくれた映画かも知れません。
その点でもたいした映画ではあると思うのです。