映画に魅せられて数十年、そんな中、私の中で一番思い入れの深い、ベストな作品と言えば、これ、「シベールの日曜日」でしょう。一番最初にこの作品に出会ったのは、ヒロインのシベールとほとんど年が違わない十代始めの頃だったと思います。見たのはお茶の間のTV洋画劇場。30歳と12歳のプラトニックな愛を描いたこの作品は、内容ももちろんですが、何よりもその映像の美しさに魅了されたのでした。
純粋な二人の世界を象徴するように登場するさまざまなアイテム、例えばガラス球、氷の上を滑る石、水の波紋、水面に逆さまに映った景色、ワイングラス、フィンガーボールなどなど、その透明で静謐なモノクロ映像は、汚れた大人世界を嫌う多感な年ごろの私にとって、自らの心象風景を具象化したような存在でした。
それから10年余り経って、再び見たのは映画館でのリバイバル上映です。モノクロの美しい映像を大きなスクリーンで見てみたいと、ずっと思っていた私は、ようやく念願が叶って実に感無量でした。再見して見ると、十代の頃のような研ぎ澄まされた感性はかなり鈍くなっていたものの、それでもこの映画の主人公、ピエールとシベールの、濁った大人たちが決して理解できない二人の世界に共感できる自分を改めて再認識して、嬉しかったのを覚えています。
そして今、再びこの作品を映画館で見る機会を得ました。戦争のトラウマから記憶喪失になってしまったピエールは、運ばれた病院で世話になった看護師マドレーヌの家に身を寄せています。マドレーヌが仕事に行っている日中、彼はたまに近所に住む芸術家の家で仕事を手伝う他はやることもなく、ぶらぶらと過ごしています。昔ならさながらヒモ、今で言うならニートですね。
そんな彼は、夕方仕事を終えたマドレーヌを駅に迎えに行くのが日課になっていましたが、たまたまその日は彼女が残業で列車には乗っておらず、そのかわり父親らしき男に連れられた少女が降りてきました。父親はピエールに駅の近くにある寄宿舎への道順を尋ねます。どうやら彼は娘をそこに預けるらしいのですが、娘はそれを嫌がっている様子。どうしたことかピエールはそのことが気になり…というわけで、この12歳の少女と30歳のピエールがどうやって知り合い、特別な間柄になって行ったかが説明されるのですが、それが実に自然ななりゆきなので、今更ながら感心してしまいました。
主人公のピエールが心に傷を負った引きこもりであるという点も、今の時代に見て古臭さを感じさせないですし、周囲の大人たちが二人の関係を危惧し、過剰な反応を見せるという点も、今の時代ならさもありなん、という感じがして説得力があります。私がこの映画を初めて見た頃の60年~70年始めにかけての日本は、まだまだのんびりしていましたから、この映画の周囲の人間の行動は、大人世界の汚さとかいやらしさの象徴のように見えたのですが、50年近く経った今改めて見ると、彼らの行動もそれなりに理解できる世の中になってしまっていることになんともはや、複雑な思いがした次第です。
これって、世の中だけでなく、私の中にもいわゆる大人としての常識とか既成概念が出来上がってしまっていて、純粋なものをそのまま、「でも、しかし」という言葉なしに受け入れることが出来なくなったということなのかも知れません。そうした意味で、この「シベールの日曜日」は、まだ心が真っ白で、感性ばかりが鋭敏だった「あの頃」を思い出させてくれる、私にとっては特別な映画なのです。
(2011/4/28 記)