フェリーニ監督の映画は初期の『道』こそリアリズムな描写にストレートに心を打たれたが、基本的には作家性が強すぎて苦手な作品が多い。
ただ、この『8 1/2』だけは学生時代に観て衝撃を受けた記憶がある。
今回内容は一切覚えていないものの、久しぶりにその感動を再確認したくて観てみたが、正直あまり良さが分からなかった。
20代の頃の自分がこの映画の内容を理解出来たとは思えないので、単純にあの頃の自分の方が感受性に優れていたのだろう。
ストーリーはある映画監督(フェリーニ監督自身の投影か?)がスランプに陥り、様々な人間関係に苦悩していく様を描いている。
唐突に回想シーンや妄想シーンが挿入されるので、どこまでが現実なのか混乱させられる映画である。
冒頭の主人公グイドの夢の描写が印象的だ。
大渋滞の中、彼の乗った車を複数の無表情な人々の目が監視する。
やがて車内を煙が充満する。
彼は自殺を謀ろうとしたのか。
すると画面は凧のように大空高く舞い上がるグイドの姿を映し出す。
どこまでも逃げ出したい彼を、しかし人々は地上に引き戻そうとする。
そして療養中のグイドが医者に診察されている現実に画面は切り替わる。
療養に専念したいグイドだが、プロデューサーや脚本家や役を貰いたい役者がひっきりなしに訪れるため、心が休まる暇がない。
愛人カルラ、そして険悪なムードの妻ルイザの存在も彼にとっては煩わしいものでしかない。
彼が心惹かれるのはクラウディアという空想の中の女神だけ。
シュールな場面が続くので、色々と理解出来ない部分はあるが、これは人を愛することの出来なかった男の物語ともいえる。
おそらく才能はあるのだろう。そして常に彼を持ち上げる人間が側にいて、女性関係も豊富だったのだろう。
しかし彼の心はいつも孤独だ。
少年期の回想シーンでは、彼は孤独な乞食女と踊っているところを、神父に見咎められ体罰を受ける。
無邪気さは重大な欠点だと指摘されて。
大人になり無邪気さを捨て去った彼は、いつも仮面を被っているようだ。
カルラのことを見たこともない女だと平気でルイザに嘘をつく。
そして憧れの女神クラウディアにも、虚ろな目で「役も映画もない。すべて終わってもいい」と告げる。
後半はいよいよ映画を撮ることが出来なくなった彼を、妄想なのか現実なのか分からない世界で人々が責め立てる。
さらに妄想の世界で女性たちは慈悲のないグイドに向かって反乱を起こす。
追い詰められた彼はテーブルの下に逃げ込み、銃で自らを撃ち抜く。
現実に戻った彼はすべてを受け入れ、幸福に満たされながら、ルイザにもう一度やり直したいと謝罪する。
最後は賑やかな音楽隊に囲まれながら人々の輪の中に入っていくグイド。
しかし最後に残された少年の日のグイドは、一人寂しそうに笛を吹き続ける。
おそらく最初の夢の中の自殺を仄めかすシーンがすべてを語っていたのではないだろうか。
彼が求めた先にある自由は死だった。
人々に囲まれながらも誰をも愛せなかった男の末路。
賑やかなシーンが多いほど、グイドの心の孤独が引き立てられるようだった。
強烈な印象は残るものの、理解するのは難しい。
ルイザ役のアヌーク・エーメは相変わらず美しいと思った。