雪や氷が美しい。馬橇がモスクワの街路を駆け巡ったかと思うと、ウラル地方のユリアティンという小都市の郊外ベリキノには、雪と氷に覆われ雪まつりのような宮殿や家屋が見えている。
東へ向かう列車の場面がインターミッション の前後にある。車窓の外側にはやはり氷が張っており、それを割って乗客たちは、外部と通じることができる。列車の中にはストーブが焚かれ、ひとつの車両に多くの者たちが詰め込まれている。またパルチザンの戦いでは氷上で銃撃された馬や人がその上を滑っている。窓についた雪の結晶は、春を告げる日光によって溶けていき、その結晶の模様は、野に咲く花々に重ねられ、花の内部の雄蕊と雌蕊まで寄ったエロティックなクロースアップは、オマー・シャリフが演じるジバゴことユーリと、ジュリー・クリスティが演じるラーラの逢引に重ねられていく。
雪解けは、物語を前後を挟み込む後年のプロローグとエピローグの舞台となるダムのショットに映像としては象徴される。雪解けは、また、ロシア革命とその後のスターリン以降まで続く冷戦下の現状への期待として膨らみ、溢れ出そうとしているようにも見える。
バラライカの三角、八端十字架の伝統的な図像、ラーラが従事する赤十字といった印にも溢れており、雪に照らされた顔、帯状に照らされた目元などで俳優たちとその眼を輝かせてもいる。
ユーリは、林ごしの太陽や鈍く曇る中の太陽に導かれているようにも見える。この太陽は、宗教的な解釈も可能であるが、妻と子とが宿る家とそれらが据わる不動の大地の無辺な広がりに方向性を与えるものとして政治的、社会的な意味も重ねられているようにも感じる。ユーリは、流行のボリシェヴィキにも載らず、帝制ロシアの郷土愛的な心性にもやや同情しながらも、政治的には、ただ生きるとして中立的な立場を貫く。彼には医療という技術があり、芋を愛でる家族も待っている。
しかし、それゆえに、医療の科学を超え、見たこともないような治療法によって看護師として施療するラーラの呪術的な魔導に惹かれてしまう。詩に傾倒してしまう彼の心性は、一貫しているようでいて、揺れ動いている。