地味な内容だからこそ観客を引き寄せるテクニックが目一杯盛り込まれた宝庫になっている
ネタバレ
テクニック1
話の持って行き方(ストーリー展開)が物凄く上手い。我々観客と主人公との距離の置き方が次々に変化していく。
最初にナレーター(プロデューサーの本木荘二郎らしい)によって、主人公自身が未だ知らない彼の病状を観客は先に教えられる。そして、いかにして主人公は自分の病名を知るに至るのか、愁嘆場が予想されるところを、病院の患者渡辺篤を登場させることによって逆に軽喜劇風に展開させる。テクニックの最たるものである。
病名を知って一度は意気消沈した彼が生きがいを見つけ出して動き出すところまで順を追ってスピーディに描いていきながら、次の場面は彼の位牌が飾られているお通夜になって、流暢な映像の流れに突然ブレーキをかける。急激なトーンの転調が観客の心理を引き締める。
テクニック2
主人公が癌であることを知って意気消沈しているとき、飲み屋で小説家(伊藤雄之助)と出会って夜の享楽の世界へ誘われる。後に「天国と地獄」で見せる対位法的な転調の効果を見せて飽きさせない。
テクニック3
意気消沈しているときに出会った娘(小田切みき)が市役所同僚のあだ名をつけている。坂井(田中春男)のあだ名を「鯉のぼり」と付け、「鯉のぼりは、ペラペラフラフラ、口先ばっかりで中身は空っぽ。それにね、お高くとまっているところも似ているわ」。
この映画の出来の良さや表現の深さを一つだけ指摘しろと言われれば、このセリフを挙げでも良い。鯉のぼりの特徴を通して坂井という職員の人物評を述べているが、比喩の機能が重層化されている。坂井個人を細かく描いたり、性格を説明するシーンなど皆無で、鯉のぼりによって坂井の特徴を描く。坂井の特徴を情報として観客に伝えるよりも、この会話によって主人公と娘の心の交流が深まっていく経過を描いて、セリフと映像に齟齬を生じさせる。齟齬が観客の心理を引き締める。
テクニック4
金子信雄と関京子が主人公志村喬の息子夫婦を演じている。2人は外で飲んできたらしくご機嫌で帰宅する。父親の退職金を当てにして家を買う話をしている。もしこの話に父親が応じなければ、「別々に暮らそう」と言ってみるのが親父には一番効くと息子は言う。妻は笑う。シビアな会話である。笑いながら電気を付けようとしたら、其処に父親が居た。「嫌だわ、すっかり聞かれちゃって」と妻は嘆く。「良い気になって悪い話をしちゃったなぁ」とはならない。寧ろ「お父さんも随分ねェ、いくら自分の家だからといって、此処は私たちの部屋よ、留守の間に黙って上がり込んで、あんまりだわ」と父親の方が悪いような言い方になる。息子もそれに同調する。「悪いこと言っちゃったかなぁ」とか軌道修正しない。この場面の二人のセリフは暗がりで父親に遭遇して驚いたセリフでありながら、3人の関係性が見えてくる仕組みになっていて、軽いやりとりが意味の深い内容になっている。齟齬が観客の心理を引き締める。
テクニック5
ジャズバーに市村俊幸がピアニスト、日劇の倉本春枝がダンサーで特別出演している。黒澤明の映像が煌(きら)びやかで、天井の鏡の使い方など「天国と地獄」での伊勢崎町の大衆酒場を連想させる。
ストリッパーのラサ・サヤは本職の踊り子で黒澤明のご指名による出演らしい。煌びやかなジャズバーの喧騒から一転して緩やかなラテン系リズムで踊るストリップシーンはこの映画には珍しい艶やかな情感を惹き出している。踊りのシーンをワンカットで撮られていることが凄い(このシルエットのような逆光のシーンはポスターでの起用も含めて海外では意外と関心を深めていたと聞く)。
こういうメリハリの付け方が作品全体の流れを引き締めている。
6
テーマは
通夜の場面は官僚の縮図であるが、同時にもっと普遍的な日本人の縮図でもある。右に振れるのも左に振れるのも有象無象が群れをなして同じ方向に振れていく。ここでは主に助役の中村伸郎と糸ごんにゃくの日守新一が話の展開にメリハリをつけている。
7
ゴシップ風に、
丹阿弥谷津子と金子信雄が顔は合わさないが、同じこの映画に出ている。2年後に「山の音」(成瀬巳喜男監督)にも、やはり顔を合わさないが2人が出演している。2人は実生活では夫婦である。その後は文芸作品とアクション映画と、出演する方向が分かれてしまって共演することは無くなった(はずである)。2人は金子信雄が亡くなるまで37年間連れ添った。
小泉博は市村俊幸がピアノを弾く場面に顔が奥の方に見える。
青山京子は誕生パーティーに出席している。すぐには分からないが、吉永小百合に似た雰囲気の女子高校生役である。
「七人の侍」のメンバーで三船敏郎、稲葉義雄以外の五人が出演している。木村功は若い医師、宮口精二と加東大介は助役室前に登場する暴力団風の男、千秋実は主人公の勤める市民課でハエトリ紙とあだ名を付けられた職員で登場する。