生きる(1952)

いきる|Doomed|----

生きる(1952)

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レビューの数

145

平均評点

84.6(801人)

観たひと

1269

観たいひと

123

基本情報▼ もっと見る▲ 閉じる

ジャンル ドラマ
製作国 日本
製作年 1952
公開年月日 1952/10/9
上映時間 143分
製作会社 東宝
配給 東宝
レイティング
カラー モノクロ
アスペクト比
上映フォーマット
メディアタイプ
音声

スタッフ ▼ もっと見る▲ 閉じる

監督黒澤明 
脚本黒澤明 
橋本忍 
小国英雄 
製作本木莊二郎 
撮影中井朝一 
美術松山崇 
音楽早坂文雄 

キャスト ▼ もっと見る▲ 閉じる

出演志村喬 渡邊勘治
金子信雄 渡邊光男
関京子 渡邊一枝
小堀誠 渡邊喜一
浦辺粂子 渡邊たつ
南美江 家政婦
小田切みき 小田切とよ
藤原釜足 大野
山田巳之助 齋藤
田中春男 坂井
左卜全 小原
千秋実 野口
日守新一 木村
中村伸郎 助役
阿部九洲男 市会議員
清水将夫 医師
木村功 医師の助手
渡辺篤 患者
丹阿弥谷津子 バーのマダム
伊藤雄之助 小説家
宮口精二 やくざ
加東大介 やくざ
菅井きん 主婦

解説 ▼ もっと見る▲ 閉じる

黒澤明の「白痴」に次ぐ監督作品。脚本は「羅生門」の共同執筆者橋本忍と「海賊船」の小国英雄とが黒澤明に協力している。撮影は「息子の花嫁」の中井朝一。出演者の主なものは、「戦国無頼」の志村喬、相手役に俳優座研究生から選ばれた小田切みき、映画陣から藤原釜足、千秋実、田中春男、清水将夫その他。文学座から金子信雄、中村伸郎、南美江、丹阿弥谷津子。俳優座から永井智雄、木村功、関京子。新派では小堀誠、山田巳之助などである。

あらすじ ▼ もっと見る▲ 閉じる

某市役所の市民課長渡邊勘治は三十年無欠勤という恐ろしく勤勉な経歴を持った男だったが、その日初めて欠勤をした。彼は病院へ行って診察の結果、医師からは胃潰瘍と告げられたが、胃ガンで余命いくばくもないと悟った。夜、家へ帰って二階の息子たち夫婦の居間に電気もつけずに座っていた時、外出から帰ってきた二人の声が聞こえた。父親の退職金や恩給を抵当に金を借りて家を建て、父とは別居をしようという相談である。勘治は息子の光男が五歳の時に妻を失ったが、後妻も迎えずに光男を育ててきたことを思うと、絶望した心がさらに暗くなり、そのまま街へさまよい出てしまった。屋台の飲み屋でふと知り合った小説家とそのまま飲み歩き、長年の貯金の大半を使い果たした。そしてその翌朝、買いたての真新しい帽子をかぶって街をふらついていた勘治は、彼の課の女事務員小田切とよとばったり出会った。彼女は辞職願いに判をもらうため彼を探し歩いていたという。なぜやめるのかという彼の問いに、彼に「ミイラ」というあだ名をつけたこの娘は、「あんな退屈なところでは死んでしまいそうで務まらない」という意味のことをはっきりと答えた。そう言われて、彼は初めて三十年間の自分の勤務ぶりを反省した。死ぬほどの退屈さをかみ殺して、事なかれ主義の盲目判を機械的に押していたに過ぎなかった。これでいいのかと思った時、彼は後いくばくもない生命の限りに生きたいという気持ちに燃えた。その翌日から出勤した彼は、これまでと違った目つきで書類に目を通し始めた。その目に止まったのが、かつて彼が付箋をつけて土木課へ回した「暗渠修理及埋立陳情書」であった。それから五ヶ月後、勘治は死んだ。通夜の席で同僚たちから、勘治の思い出が語られる。彼の努力で、悪疫の源となっていた下町の低地に下水堀が掘られ、その埋立地の上に新しい児童公園が建設されていった。市会議員とぐるになって特飲街を作ろうとしていた街のボスの脅迫にも、生命の短い彼は恐れることはなかった。新装なった夜更けの公園のブランコに、一人の男が楽しそうに歌を歌いながら乗っていた。勘治であった。雪の中に静かな死に顔で横たわっている彼の死骸が発見されたのは、その翌朝のことであった。

キネマ旬報の記事 ▼ もっと見る▲ 閉じる

1983年11月上旬号

特別企画 [黒澤明の全貌]によせて 第1回 私の黒澤映画:「生きる」

1963年4月号増刊 黒沢明<その作品と顔>

シナリオ:生きる

1952年9月上旬号

スタジオ訪問:黒澤明監督「生きる」の撮影を見る

1952年6月下旬号

グラフィック:生きる

1952年6月上旬号

日本映画紹介:生きる

1952年4月上旬特別号

特別掲載シナリオ:生きる 黒沢明監督作品

2024/08/29

85点

選択しない 


構成とシニカルさに感心

胃癌で死期が近く、尚且つ生きる意味を失っていた志村喬の役人がようやく公園建設という生きがいを見出した矢先に、通夜になっているという構成が凄い。そこから参列者が彼の最後の五ヶ月を回想する展開となる。有名な「ゴンドラの唄」をしみじみと歌いながら完成した公園のブランコに乗る場面はやはり名場面で泣けてくる。そしてラスト、志村喬の生き様に感化され、変わろうという気概を口にした役人達が、結局は変わらずお役所仕事をしている様子のシニカルさにやはり凄いドラマだなぁと感心する。

2024/08/17

2024/08/18

-点

テレビ/無料放送/NHK BSプレミアム 


過去の自分に反逆

ネタバレ

黒い犬 メフィストフェレス 小説家 新しい帽子
とよ『日本中の赤ん坊と仲良しになった気がする』
ゴンドラの唄 公園のブランコ 通夜の席 雪降る夜

2024/01/08

2024/05/12

100点

テレビ/無料放送/NHK 


幸せだったのか?

何度目になるだろうか、現在とはあまりにも異なる社会環境の下で、普段は自分の殻にこもっていたような小役人が、己が余命いくばくもない末期がんと思い込み、突然市民の請願を取り上げ小公園の整備に取り組み、上司への根回しといった難事を、まさしく粘り強く続ける姿には鬼気迫るものすらあります。

一方で、同じ職場の女子職員(小田切みき)が退職した後で、偶さかのデートは老いらくの恋にもならない、まるで孫と遊ぶ祖父みたいです。
紆余曲折しながらもなんとか完成させた公園と入れ替わるように亡くなる志村喬。
その通夜の席で、公園の完成はさも自分の手柄であると自慢話にする上司の醜悪さ。
完成したブランコを小雪降る中「ゴンドラの歌」をボソボソと唄いながら漕ぐ姿には彼の背負ってきたであろうあらゆる感情が込められています。これこそ名作の名に恥じない。

2024/04/27

2024/04/29

89点

VOD/Amazonプライム・ビデオ/レンタル/PC 


ナレーターは

ネタバレ

この映画のプロデューサーである本木莊二郎。どことなく貧相な声だがナレーターとしては素人なのであろうから仕方ないなどと思ったら早稲田大学を卒業後日本放送協会へアナウンサーとして入局とある。その後助監督として東宝へ入社するも後に企画担当の辞令を受け「雑兵物語」を担当するが召集令状を受けて入隊、その間に映画は「虎の尾を踏む男達」として完成していたようだ。黒澤とのタッグとしては「野良犬」「醜聞」「羅生門」「七人の侍」「生きものの記録」などがあるが1957年の「蜘蛛の巣城」を最後に決別したという。プロデューサーが何をするのか詳しくは知らないがそれなり以上に優秀だったといえよう。ところがだが、本木莊二郎氏はこのあと高木丈夫という名義で「肉体自由貿易」なる成人映画の監督としてデビューを飾るのである。まあどんな映画だかは知らないが。しかもその後複数の名義を使いつつ200本近いピンク映画を量産したらしい。1978年に死去したが6月23日に開催された偲ぶ会に黒澤明は姿を現さなかったということではある。こんな話をしたのはゼンゼン別の話をしたかったからであるが、それは私の勘違いであったらしくこういう文章になった。それは主として山田風太郎の小説の読み違えではあったのだがその小説について詳しい言及は避けておく。ともあれ肝腎の作品についてであるが、それについては先日観た「 生きる LIVING」の感想に記してある。こちらの方の点数を高くつけておいたがそれが私の評価であるといえるのだろうか。

2024/01/08

2024/03/06

85点

テレビ/無料放送/NHK 


志村喬

ネタバレ

がんで余命を知った市役所の課長が、無為な人生を後悔し、公園建設に命を懸ける物語。
黒澤明監督。黒澤明、橋本忍、小国英雄脚本。

有名な作品。一部を見たことはあったが、全編を通して鑑賞するのは初めて。昨年の英国によるリバイバルがほぼ本作のとおりであったことを知る。

主人公の渡辺課長は胃がんで余命わずかであることを悟る。医者は胃潰瘍だと言い、ただ、治療はしなくてもよいと告げる。待合室で病気の主のような男が訳知り顔に語った聞かせた、胃がんの時の医者のセリフそのまま。

ここから、本作は自分の人生の意味を見つけようとする男の話になる。
人間って、いつかは死ぬと知っていながら、死ぬことを忘れて生きている。そうやっているので、つまらない日常でも耐えられる。週に一度でも良いことがあれば十分。

主人公の仕事がいかにつまらないこと(なんの役にもたたない)かを序盤できっちり語る。住民の陳情を、面談することもなく、あっさり他の課に回す。たらいまわし、ですな。
そして、彼の背後に詰まれた書類の山。これが、彼らの積み残した仕事の残滓の象徴として映る。誇らしい成果でもなく、やらなかった証でしかないので、誰も見ようともしない。埃にまみれるまま、しずかに朽ち果ててくれるのを、彼らは待っている。

そんなぐうたらな人生に気づいた渡辺は、これまでの自分に何かないかと探すのだが、大きな成果といえる息子は、父のそんな思いを感ずることもない。

そこから、彼の迷走が始まり、その挙句に、公園づくりに走り出す。そうして、葬儀の場面に飛躍して、職場の部下たちにより彼の最後の日々が語られてゆく作劇が斬新。

当時はガンなんて告知はされなかった。自身の余命を悟った渡辺は幸運だったのだろう。胃潰瘍だと思いながら、これまでの日常のままで死を迎えたら、渡辺はどう思ったのだろうか。

リメイクするなら、余命を知らぬまま死んでゆく姿を描いてみるのは、どうか。これは、とても不幸で悲惨な物語になる、のかもしれない。
今は、ほとんど本人告知をされるから、知らぬまま亡くなる不幸は無い。治る確率も高くなっているしね。
ガンは不治の病ではなくなっている。これが当時と、今の大きな違いだろう。

本作の志村喬の演技は鬼気迫るものがあって、怖いくらいだ。これを名演と呼ぶべきものだろうけど、正直、やりすぎの感がある。
そして、彼の佇まいが、「千と千尋の神隠し」のカオナシにみえてくる。宮崎駿は、この渡辺をモデルにした、というわけではないだろうと思うが。

2024/02/16

2024/02/24

96点

テレビ/有料放送/衛星劇場 


地味な内容だからこそ観客を引き寄せるテクニックが目一杯盛り込まれた宝庫になっている

ネタバレ

テクニック1 
話の持って行き方(ストーリー展開)が物凄く上手い。我々観客と主人公との距離の置き方が次々に変化していく。
最初にナレーター(プロデューサーの本木荘二郎らしい)によって、主人公自身が未だ知らない彼の病状を観客は先に教えられる。そして、いかにして主人公は自分の病名を知るに至るのか、愁嘆場が予想されるところを、病院の患者渡辺篤を登場させることによって逆に軽喜劇風に展開させる。テクニックの最たるものである。
病名を知って一度は意気消沈した彼が生きがいを見つけ出して動き出すところまで順を追ってスピーディに描いていきながら、次の場面は彼の位牌が飾られているお通夜になって、流暢な映像の流れに突然ブレーキをかける。急激なトーンの転調が観客の心理を引き締める。

テクニック2
主人公が癌であることを知って意気消沈しているとき、飲み屋で小説家(伊藤雄之助)と出会って夜の享楽の世界へ誘われる。後に「天国と地獄」で見せる対位法的な転調の効果を見せて飽きさせない。

テクニック3
意気消沈しているときに出会った娘(小田切みき)が市役所同僚のあだ名をつけている。坂井(田中春男)のあだ名を「鯉のぼり」と付け、「鯉のぼりは、ペラペラフラフラ、口先ばっかりで中身は空っぽ。それにね、お高くとまっているところも似ているわ」。
この映画の出来の良さや表現の深さを一つだけ指摘しろと言われれば、このセリフを挙げでも良い。鯉のぼりの特徴を通して坂井という職員の人物評を述べているが、比喩の機能が重層化されている。坂井個人を細かく描いたり、性格を説明するシーンなど皆無で、鯉のぼりによって坂井の特徴を描く。坂井の特徴を情報として観客に伝えるよりも、この会話によって主人公と娘の心の交流が深まっていく経過を描いて、セリフと映像に齟齬を生じさせる。齟齬が観客の心理を引き締める。

テクニック4
金子信雄と関京子が主人公志村喬の息子夫婦を演じている。2人は外で飲んできたらしくご機嫌で帰宅する。父親の退職金を当てにして家を買う話をしている。もしこの話に父親が応じなければ、「別々に暮らそう」と言ってみるのが親父には一番効くと息子は言う。妻は笑う。シビアな会話である。笑いながら電気を付けようとしたら、其処に父親が居た。「嫌だわ、すっかり聞かれちゃって」と妻は嘆く。「良い気になって悪い話をしちゃったなぁ」とはならない。寧ろ「お父さんも随分ねェ、いくら自分の家だからといって、此処は私たちの部屋よ、留守の間に黙って上がり込んで、あんまりだわ」と父親の方が悪いような言い方になる。息子もそれに同調する。「悪いこと言っちゃったかなぁ」とか軌道修正しない。この場面の二人のセリフは暗がりで父親に遭遇して驚いたセリフでありながら、3人の関係性が見えてくる仕組みになっていて、軽いやりとりが意味の深い内容になっている。齟齬が観客の心理を引き締める。

テクニック5
ジャズバーに市村俊幸がピアニスト、日劇の倉本春枝がダンサーで特別出演している。黒澤明の映像が煌(きら)びやかで、天井の鏡の使い方など「天国と地獄」での伊勢崎町の大衆酒場を連想させる。
ストリッパーのラサ・サヤは本職の踊り子で黒澤明のご指名による出演らしい。煌びやかなジャズバーの喧騒から一転して緩やかなラテン系リズムで踊るストリップシーンはこの映画には珍しい艶やかな情感を惹き出している。踊りのシーンをワンカットで撮られていることが凄い(このシルエットのような逆光のシーンはポスターでの起用も含めて海外では意外と関心を深めていたと聞く)。
こういうメリハリの付け方が作品全体の流れを引き締めている。


テーマは
通夜の場面は官僚の縮図であるが、同時にもっと普遍的な日本人の縮図でもある。右に振れるのも左に振れるのも有象無象が群れをなして同じ方向に振れていく。ここでは主に助役の中村伸郎と糸ごんにゃくの日守新一が話の展開にメリハリをつけている。


ゴシップ風に、
丹阿弥谷津子と金子信雄が顔は合わさないが、同じこの映画に出ている。2年後に「山の音」(成瀬巳喜男監督)にも、やはり顔を合わさないが2人が出演している。2人は実生活では夫婦である。その後は文芸作品とアクション映画と、出演する方向が分かれてしまって共演することは無くなった(はずである)。2人は金子信雄が亡くなるまで37年間連れ添った。

小泉博は市村俊幸がピアノを弾く場面に顔が奥の方に見える。

青山京子は誕生パーティーに出席している。すぐには分からないが、吉永小百合に似た雰囲気の女子高校生役である。

「七人の侍」のメンバーで三船敏郎、稲葉義雄以外の五人が出演している。木村功は若い医師、宮口精二と加東大介は助役室前に登場する暴力団風の男、千秋実は主人公の勤める市民課でハエトリ紙とあだ名を付けられた職員で登場する。