次郎長三国志シリーズの第八弾、「海道一の暴れん坊」であります。森繁久彌演じる森の石松を主人公にした、マキノ雅弘監督によるオリジナルストオリイ。態々原作者の村上元三に断りを入れたさうで、仁義を通したといふところでせうか。脚本はそれまでの松浦健郎&村上元三に代り、小川信昭と沖原俊哉が参加しました。音楽は同じく鈴木静一。美術担当の北辰雄とは、北猛夫の弟ださうです。
兇状が解けた次郎長一家では、お蝶と豚松の法事が執り行はれてゐました。豚松の母(馬野都留子)がヤクザへの恨みつらみをぶちまけ、泣き喚きます。言葉も無い次郎長(小堀明男)以下、一家の面面。
次郎長は愛刀を讃岐の金比羅様に奉納することになり、その役目を仰せつかつたのが、森の石松(森繁久彌)。酒飲むな、喧嘩するな、博奕打つなの条件付きの旅といふ事で、渋る石松でしたが、一同がお金を出し合つた八両二分を受け取り旅立ちます。
道中、浜松の政五郎(水島道太郎)なる男と知り合ひ意気投合。惚れた女がゐるから「俺は、死なねえよ」を繰り返します。金比羅様に刀を奉納した石松、例の八両二分を蕩尽するため、その足で色街へ向かひ、儚い美しさの「夕顔」(川合玉江)といふ遊女に一目惚れします。別れ際には手紙を貰ひ、相思相愛である事が判明、身受山鎌太郎(志村喬)の尽力で夕顔を身請けし、石松と夫婦にさせる事に。
一方讃岐を後にした石松、都田一家の吉兵衛(上田吉二郎)一味の卑怯なる闇討ちに遭ひ......
本作は完全に森繁の石松を主人公にして、クレジットも森繁がトップになつてゐます。次郎長の小堀明男は完全な脇役。「仁義なき戦い」シリーズで云へば、差し詰め「広島死闘篇」に相当するでせうか。無茶な比較か。元は「石松開眼」といふタイトルを考へてゐたマキノ監督ですが、東宝が勝手に「海道一の暴れん坊」といふポスタアを作つてしまつたので、断念したといふ事です。
馬鹿だが純情な石松の一挙手一投足に注目したい一作であります。身受山鎌太郎が法事で五両置いたのを、勝手に二十五両と書き、その差額分は次郎長親分から渡された路銀から出し、親分が「本当は呑んでも好いんだ」と飲酒を許可しても「俺は呑まねえよ」と馬鹿正直。浜松の政五郎とのやり取りも良い。「お藤」のエピソードも名場面と存じます。政五郎は明日の石松の姿そのものです。
夕顔との刹那的な交情も切ない。石松が風呂に入つてゐると、夕顔が背中を流しますと入つて来るシーンでは、純情な石松はあたふたしてますが、見る此方もドキドキするのです。全くいやらしさがなく、寧ろ初々しい爽やかさを感じていい気持になります。夕顔の川合玉江さんは知名度は低いかも知れませんが、不安さうな、幸薄い表情が絶品の演技を見せてゐます。マキノ監督以外だつたらここまでの効果はあつただらうかと。
この人、「ゴジラ」では大戸島の娘として登場しました。大戸島近海で遭難事件が連続した原因を、古老の高堂国典が「やつぱり、ゴジラかもしんねえ」と呟くのを、「今どきそんなものいるもんかよ」と馬鹿にしたやうに返す娘さん役です。
鎌太郎が夕顔の手紙を見つけ、夕顔の心根を知るや、石松に迫るところも名場面。この志村喬、瞬間湯沸かし器のやうに直ぐに怒鳴るけれど、この映画での最大の貢献者かも知れません。娘役のおみのを演じた青山京子もまだ可憐な時代です。後の小林旭夫人。ところで、志村がこれだけ出番があるといふ事は、「七人の侍」の撮影は終つたのでせうか。
闇討ちに遭つた石松が無念の死を迎へるその瞬間、彼の眼が開き、森繁久彌としては一世一代の名演技と申せませう。再会した政五郎に、今度は自分が「俺は死なねえよ」を繰り返す石松に涙涙。そんな事は知らぬ鎌太郎と身請された夕顔の晴れやかな顔が、清水を目指して東へ進む(又も涙)。それと対比するやうに、石松の一大事を知り西へ急ぐ次郎長一家の面面。ラストシーンまで画面から目が離せぬ一作であります。夥しい数のマキノ作品の中でも(無論全部見た訳ではないですが)、かなり上位に来る出来ではないでせうか。是非リマスタアしてブルーレイ出して下さい。