CMなどでよく耳にする『One』のメロディーを聴くと、心が躍る。心どころか体も踊りだしたいくらいだが、残念ながら私は踊れない(笑)。なので、踊れる人にものすごく憧れる。本作に登場する若者たちの躍動する肉体にため息が出る。正確には、彼らの踊りを観ている間は、ただただ口をポカンと開けて見入ってしまい、ため息をつくのは観終わってからなのだが・・・。
ブロードウェイの舞台に立つチャンスを掴もうと、オーディションに挑む若者達。集まった何百人のダンサーたちは、どんどんふるい落とされていく。彼らは名前で呼ばれない、「そこの赤いバンダナ」とか「イエローパンツ」などと呼ばれる。彼らは「とても難しい」「うまく踊れないわ」「今度もきっと受からない」などの焦った気持ちを歌で表現していく。これぞミュージカル映画の醍醐味だ。だが、こんなに必死のオーディションは、主役を掴むためのものではない。単なる「コーラス」のオーディションなのだ。コーラス、モブ、その他大勢。もちろん役名などない。主役の後ろでワル目立ちせず、舞台を引き立てるために踊るのだ。そう、ここでもやっぱり名前では呼ばれないのである。それでも彼らは真剣にオーディションに挑む。その先のチャンスを信じて、あるいは現状を打破したいために。
何百人の中から最終的に絞り込まれた16人が、本作の主人公たちだ。彼らの顔ぶれを見て「多様性」という言葉が浮かぶ。本作の公開当時はまだ差別やLGBT問題は重視されていなかった。白人優位、男性優位がまかり通っている時代だ(余談だが、本作で一番時代を感じる要素は、女性のレオタードがものすごいハイレグなことww)。しかし、ここに登場するダンサーたちは、現在に先駆けて様々な顔を持っている。アングロサクソン系、ユダヤ系、アフリカ系、プエりルトリコ系、アジア系。カップルでオーディションを受ける者、シングルマザー、整形美女、ゲイ・・・etc。コーラスのオーディションなのに、彼らの「個性」を引き出そうとする演出家。「名前」のない彼らの、「肉体」だけでなく「心」や「過去」や「アイデンティティ」が、様々に表立ってくる。そうして我々はいつしか、彼ら全てを応援したくなるのだ。
さて、16人のダンサーたちの物語と並行して、演出家(本作中、ただ1人のスターであるマイケル・ダグラスは、エンドロールで無名のダンサーたちと並列扱いすることを条件にこの役を引き受けた)と昔の恋人の物語も同時進行していく。恋人は、夢を追って彼の元を去り、ラスベガスのショーで主役をはるほどの有名ダンサーとなっていた。しかし、今の彼女は仕事もなく、再出発をかけて、このオーディションを受けようとやって来たのだ。しかし演出家は、偉大なダンサーにコーラスを踊らせることはできないと、彼女を帰そうとするが・・・。すったもんだのあげく、彼女がオーディションを受けることを承知した演出家だが、コーラスの鉄則、上げる足の位置や、傾ける首の角度を揃えることを、彼女に厳しく指導する(彼女はついつい、ラスベガスのショー並みの“魅せるダンス”をしてしまうからだ)。
長い長い一日が終わり、不合格者は肩を落とし、合格者は喜びに顔を輝かす。それぞれがそれぞれに頑張った、不合格者にも拍手を送りたい。ところで、ここでどうしてもヒトコト言いたい、演出家の元カノが合格したことによって、若い人のチャンスを1つ潰したんじゃ・・・www
さて、本作の白眉は実はこの後からだ。舞台でのカーテンコールに相応する、ボーナストラックが実に素晴らしい。『One』に合わせて、ゴールドのゴージャズな衣装を着た17人のダンスは圧巻だ。コーラスとして名もないダンサーたちが、今ここで「主役」として輝くのだ。このダンスシーンを何回も何回も繰り返して観てしまう。そうして私はため息をつく。
本作は言わずと知れたブロードウェイミュージカルの映画化だが、映画オリジナルのダンスナンバーがあったりと、舞台版との違いも楽しい。ミュージカル映画の普及の名作だ。