16世紀のイングランドに女王(ジュディ・デンチ)が君臨する.ローズ座やカーテン座などの芝居小屋,貴族の屋敷,宮廷,そしてロンドンの雑踏がそこにはあり,女王は皮肉を交え,ユーモアを解しながら,その場に偏在しつつ,介在する.
喜劇と笑いが求められ,そこには犬の野生が持ち込まれている.女王が笑えば,従う者たちも笑う.笑いは権力であって,権力は笑いの場を保障している.
役者たちも芝居に課せられた規制に縛られざるをえない.女性は舞台に立つことができない.女性は神と女王に従い,家と経済に束縛され,性と酒を司りながらも,真実の愛を行動し,詩を口にすることはできない.
芝居において愛が可能か,女王の前で賭けられる.ウィルことウィリアム・シェイクスピア(ジョゼフ・ファインズ)からは愛も詩も失われている.力の喪失は,「ペンが折れた」と喩えられ,男性の不能もそこに象徴される.ウィルは藪医者のような霊能商法の男にそうした事情を告白し,怪しい腕輪を得ている.その腕輪もぶっ壊れ,ウィルの詩と愛の実力が試され,賭けられる.
ヴァイオラ(グウィネス・パルトロウ)も女王の権力に浴するように芝居好きである.彼女は,詩を言葉にし,愛に通じることもできる.ダンスと回転が身分と制度を混乱させていく.僕のセリフは,私のセリフになり,舞台の役と映画の役は入れ替わり,立ち替わる.オーディションには,何者でもないものが何者かになれるかもしれない可能性があり,変装は,男装や女装は変身願望を満たすとともに,社会の変革に加担し,乗じてもいる.
ウィルは亡霊のようにもなっている.新大陸あるいはバージニアへと足を踏み入れていく愛と詩の象徴としてヴァイオラがいる.彼女と彼の口づけは,口伝えでもあって,口を伝って広がり,拍手によって迎えられ,送られていくものでもあるのだろう.愛は魂のかたちをなし,映画は魂を映しながら,移すことができるのである.