何回観てもインパクトある映画です。
自分の心に偽りを持って生きてる中年たちの末路を、実に丹念な映像、脚本で描写してます。
本作は冒頭シーンで結末を明らかにしてます。意味するのは結末に至るまでのプロセスに重きを置いてるとも言えます。
ケビン・スペイシー扮するレクターを女子高生の娘の友達に恋するロリコン親父みたいに見せていましたが、これは閉塞感のある家庭でレスターが見つけた生き甲斐と解釈すると何となくだが腑に落ちます。
中年になると、大体の方が自分の人生がこんなものかと思ってしまいがちです。
レクターは先が見えた自分の人生で、もう一花咲かせようとしたのではないでしょうか?
その象徴であるのが、娘の友達のことを妄想する赤いバラのシーンの映像だったと思います。
レクターの家庭は他人から見れば幸せそうに感じるはずです。良い家に住み、良い車を持ち、子供もいて、何不自由なく生活してる。
でも本人たちが幸せを感じてるかは別の話である。
アメリカにおける現代人の孤独や見栄という虚無感は今ある幸せに不満をもたらす。それが本来なら味方であるはずの家族や友人を疎ましい存在に変えてしまう。
そうした不満を本作では随所に描写している。
レクターと妻キャロリン(アネット・ベニング)との性交渉のない夫婦生活。レクターが娘に嫌われる辛さ。家庭のために仕事を頑張ってきたが、自分の居場所がないのは、身につまされる。
キャロリンは幼少期、学生時代とアパート暮らしの貧乏だったことをトラウマにして、上流家庭への憧れを消せない。
娘は友達の恋愛の自慢話を散々聞かされて辟易している。
普通の家族が欲求不満からバラバラになっていくのはあまりに痛々しい。その欲求不満から逃れるように、家族3人が新たに心の拠り所とするパートナーを見つける。
レクターは娘の友達に好かれようと、逞しい身体にするためにトレーニングする毎日。
キャロリンは同じ不動産業の成功者にゾッコン。
娘は隣に引っ越してきた男子学生と付き合い始める。
隣の家も壊滅的でした。威張り散らすナチス好きの親父(クリス・クーパー)、その親父の異常さから精神が病んだ妻など、救いがない人だらけである。
それでもレクターとナチス親父は自分の子供を愛していた。子供から見てダメ親父でも、子供は可愛いのである。だからラストは切なくなる。子供に愛想を尽かされるのは、親にとって一番辛いことなのだから…。
追伸
内容は確かに暗いのですが、映像の完成度はピカ一の作品だと思います。怪奇的な作品であるが、孤独や見栄に縛られた人生に一条の光を見出そうとする人間描写は見応えありました。