おそらく本作を見直すのは中学生の頃以来、17,8年ぶり。そして35ミリプリントで劇場スクリーンとなると初めてな気がする。そして記憶にある本作の印象が全く違うことにも驚いた。
明確に描かれたわけではないが、トラヴィスはベトナム戦争の帰還兵であり、今でいうPTSDを患っているように感じた。時代が第一次大戦の復員ならばウォルシュ『彼奴は顔役だ!』と同じ展開。国の為に命を賭けた結果がコレか、と。禁酒法時代ならば密造酒でギャングになる道があったろうが、トラヴィスには何の道もない。荒みきったニューヨークを生きるゴミくずの1人であり、そんなゴミくずを一掃したい。何ならデモで声を上げることもできたろうが、トラヴィスが選んだのは選挙を控える代議士の応援である。といっても、彼の感心は政治ではなく、選挙事務所に勤める美女なのだが、結果として政治への参加になるのが興味深い。
結局のところ、トラヴィスの未遂に終った代議士の襲撃も、完遂できた幼い娼婦を救うことも、彼の中ではどちらも同じこと。襲撃犯として捕まるのも、売春斡旋者たちを殺害するのも、どちらもトラヴィスによる社会参画でしかない。運よく社会の中でヒーロー、もとい善行の人となったようがだが、果たして彼の世界は変わったのか。きっと、なんら変わっていないのだろう。相変わらずニューヨークはゴミくずだらけで、その一掃を漠然と願い続ける。そんな未来が見えた。
わたしが中学生の頃はPTSDなんて一般的ではなかったし、ロバート・デ・ニーロの狂気を孕んだ芝居の印象ばかりで、トラヴィスについて全く見えていなかった気がする。そして、今回、トラヴィス像を決定づけたのはバーナード・ハーマンのスコアーである。
ネオン眩いニューヨークの夜をタクシーで流すトラヴィスの心象風景は、憂いの感じるジャジーな音楽とシンクロするかのようだった。そもそも、本作の劇伴がバーナード・ハーマンだと認識したのも今回のこと。驚くと同時に納得。本作が傑作なのは音楽の力も大きいと思う。
思えば70年代のアメリカ映画をたくさん見漁ったのは中学生の頃で、いま改めて観るといかに当時の社会を知ることができるのか。いい機会にニューシネマ再発見をしたい気になった。