愛しい人が本当に望むことなら、叶えてあげるのが愛なのか。自分に負けただけか。分からない、、、
ネタバレ
究極のテーマを取り扱った作品です。愛しい人の命(生きること)に関して、私達に色々な思いを巡らせる機会をくれる作品です。静かに、徐々に、丁寧に。
夫のしたことを理解する自分がいます。でも、いざ、自分も同じ境遇になったら、同じことをするだろうか、、、するにしても、かなり躊躇はするだろうなぁ、、、それは主人公も同じだった。
もし私の妻が主人公と同じ境遇になったら(私が寝たきりの認知症になってしまったら)、同じことを望むだろうか。。。望むかも。。。でも、その時になってしまわないと分からない。そうしてもらったら、妻が殺人の罪に問われてしまうし、それはそれで申し訳無い。
まだ、考えが纏まりません。一生、纏まらないかも。
備忘メモ:
無音で黒画面(主要キャスト等のクレジットのみ表示)のオープニングから、突如大きな音。それが、警官がドアを破る音だと分かる。窓を開ける警官、光を取る為?いや、臭い、やがてベッドで横たわる老女の遺体にカメラが向く。戦慄の出だし、「アマデウス」が私の頭の中に浮かんだ。
少しのブラックアウトの後、画面はコンサート会場。ただし、観客側を写す、演奏者は写さない。幕間だろうか、主人公の老夫婦が写る。これで、この作品は、これから老夫婦の悲劇が始まることを告げる。
ジャン=ルイ・トランティニャンは、「天使が隣で眠る夜」のギャンブル中毒とはうって変わって、シリアスな役。こちらの演技は良いなぁ。
妻は「あなたに迷惑をかけたくない。私自身の為に終わりにしたい」と言い、それに対して、夫は「迷惑じゃない。逆の立場だったら、どうする?」と言う。私も、そう言うだろうなぁ。
教え子の訪問に喜ぶ。恐らく、最初のシーンのコンサートの演者だろう。あくまで、昔のままの先生であろうとする妻。後日、彼から手紙とCDが届く。手紙には、妻の病状を悲しいと書いている。「CDを消して」と夫に吐き捨てる妻。プライドが高いんだろうなぁ。
最初の父と娘の会話シーン。娘の父に対する、さりげない気遣いを感じる。教え子は、直接的過ぎたかな。。。
でも、母の病状が悪化するにつれ、娘も父も苛立ちが高まっていく。何かしたくても、何をしていいか分からない。一緒に過ごしている父の方が、早く諦めに近い状態になっている様に見える。娘との会話シーンを通して、父の精神状態が見て取れる構成になっている。
買い物代行をしてくれる夫婦は「あなたの献身に脱帽します」と最大級の賛辞を贈るが、そんな言葉は全く受け取る側には響かない。言う方は、何かしてあげたい気持ちで一杯で言ったのだが、言われる側は響かないんだなぁと感じた(観客としての私は、もはや、ジャン=ルイ・トランティニャンと同じ様な気持ちを共有している感じだった)。
その時は、ふっと訪れた。髭を剃っていると、妻の「痛い」と呻く声が聞こえる。これは、声ではない、身体が今の状態を維持出来ずモガき苦しむ動物的な奥深い場所から響いてくるもの。「大丈夫だよ」と声をかけてあげるが、気休めでしかないことは本人が一番よく分かる。子供の頃、夏休みに合宿へ送り出され、その時、辛くて母にSOSの絵日記を送ったことを語る。助けに来てくれた母。その感情が蘇ったのだろうか、妻の顔を枕で埋める夫。少しの抵抗後、息絶える妻。夫は、妻を楽にしてあげたかったのだろう。ん?いや、もしかしたら、自分をも楽にしたかったのかも。
その後の夫の行動も少し描かれる。妻が眠る部屋のドアの四隅にテープで封印する。手紙を書く。中庭から迷い入った鳩を捕まえる。そのことを手紙に書く。すると、食器を片付ける音がする。台所には、妻が。そして、元気だった頃の様に、普通に外出する。
誰もいない家に、娘が訪れる。椅子に座る姿で、END。無音のエンドタイトル。
敢えて、音を使わないで、場面を切り替える。絵画で、気持ちを替えるシーンもあった。