このところ自分が10代や20代だった頃の映画をまた観るということにしている。映画は一回だけ観ただけではいけない、何回も観ろという主張には賛成するけど、限られた時間しかないわけでよっぽどのことが無い限り、もう一回観る余裕はない。世の中には無数の映像がある。なるべく多くの作品を観たいから一回観ただけで分からせてほしいという気持ちもある。
しかし、こうして昔観た映画をもう一回観るのは、人生100年とは申しましても、60代ともなれば人生の終盤なのはしっかりと認識しておきたい、ならば自分の青春時代にプレイバックもしたくなる、というわけでこの作品は1976年度作品、わたしが15歳だから中学生の頃か。この70年代は中学・高校生だったので、こういう娯楽性に富んだものを好んで見ていて社会派とかゲイジュツ映画とかは観なかった。小遣いも限られているし、10代じゃあね、高尚な映画は退屈なだけだったからこんなもんばかり観ていた。
この10代の頃を観た映画を60代となって観ると、最初に観たときには気がつかなかったことに気が付くというお楽しみもある。映画の知識だって薄い10代とそれなりに知識があったりした60代ではやはり作品に対する感じ方は違う。
本作品ではアメリカの無差別殺人の恐怖を描いているが、当時はまあアメリカだからなというところだったけど、今日では日本でも犯罪は凶悪化しており、より現実味を帯びている。銃を自由に持てる国じゃないけど、銃での事件も増えているし。まさか政治家が手製の銃で暗殺される事件が日本で起こるとは思えなかったから。
また銃での無差別殺人事件を扱った本作で、銃の規制に反対する圧力団体全米ライフル協会会長が主演しているのは笑ってしまうけど、当時はそんな事は知らなかった。もしかすると当時はまだ会長ではなかったか?でも会長になるくらいだから、当時でも名誉会長くらいの地位はあったかも。
またチャールトン・ヘストンよりも儲け役のジョン・カサヴェテスも当時は単に俳優としか認識していない。インディペンデンス映画の監督ということを知らなかったよ、当時は。だからジーナ・ローランズが彼の妻であることも知らなかったよ。映画の知識の乏しいガキの時代であった。
ところが今回再見するにあたり、タイミングよくジョン・カサヴェテス レトロスペクティブの特集上映があったのである。本作はジョン・カサヴェテスとジーナ・ローランズ夫婦の共演(一度も同じ画面に出るところないけど)しているけど、監督はカサヴェテスじゃないという番外編みたいなもんだなあ、ひとりで喜んでいた。この夫婦はピンで他人が演出している作品も出ているが、夫婦共演という形で他人が監督しているというのはこれだけじゃないのか?本作もプログラムに入れても良かったと思うが、この特集上映はあくまでもジョン・カサヴェテスの監督作品というくくりであったから加えることはできないか。
こうしてみるとオールスターキャストとはいかないまでも、いろんな俳優が出ていて大作らしい賑やかさはある。そんななかでマリリン・ハセットがかわいらしく花を添えた。彼女は角川映画「復活の日」に出演が決定したがロケ地が寒くて文句ばかり垂れていたら、深作欣二監督が彼女を降ろした。するとハリウッドでも日本の映画監督があっさりと役が決まった女優を降ろしたという評判が立ったと言う。あれっ、彼女の出世作「あの空に太陽が」ってスキー映画じゃなかったか、これは寒くなかったのか、まあ「復活の日」はロケ地が南極か、こりゃ寒さの度合いが違うかな。あっ、そういえば「あの空に太陽が」の相手役ってこの映画にも出ているボー・ブリッジスじゃないか。これまたふたりが一緒に出ている場面はひとつもない。こうして映画の知識がそれなりにある私は連想ゲームみたいに次々とネタが出てくるのだった。
でも私的にはこの降板で良かった。代役として神秘的な美しさのオリヴィア・ハッセーだからなあ。最初から彼女にしておけば良かった。