米国北東部バーモント州は比較的開かれた政治・宗教観を持つ土地柄。「自由詩の父」ホイットマンから連想するビート・カルチャーが隆盛した50年代最後の年。その設定を30年後の作劇で、これまでの激動期を乗り越えた思索の源がその時点で芽生えていたと描き出す。一見ありがちな回顧的内容ではある。
それでも、映画公開時から更に30年過ぎてなお秀作と称したいのは、国語教師キーティング役のロビン・ウィリアムズの名演に至る。台詞回しや立ち居振る舞いではない。生徒に寄り添い無言で推し量ろうとする目元。細い目の奥に宿る暖かい眼差し。彼本来が放つ唯一無二の瞳を活かした慈愛力の表現にある。
舞台は伝統を誇り、厳しい教育理念に立つ一流全寮制校。新学期に赴任したキーティングは「先入観に囚われず自分の感性を信じ、自分自身の声をみつけろ」と語り掛ける。その為には、ラテン語「カペル・ディエム」。英語「スィーズ・ザ・デイ」と諭す。それが名訳「今を生きろ」であり物語の支柱となる。
キーティングの虜となった七人の生徒たちは、彼が同校生時代に中心となっていた秘密クラブ「デッド・ポエッツ・ソサエティ(死せる詩人の会)」を勝手に復活する。初めは自分がこれからどう生きていくのかを打ち明けるただの戯れだった。次第に、多様な思考の可否を意識し、自我と他我との軋轢が顕在化していく。それが解決なき個人の問題と疎外されたとき、悲劇が訪れる。映画はありえた結果と、ありうるその後を淡々と綴る。翻って、どうしてそうなったのか?と問いを残し、印象深いラストシーンを迎える。
幕切れでキーティングが「ありがとう」と応える言葉。最も美しく、最も短い詩だと気付かされる。その含蓄が浮かび上がらせる、人が生きる意味を対等に語り合う姿勢の大切さが余韻となった。