丁寧な暮らしはそれだけで画になるのだと感心させられた。
大きなドラマが展開するわけではないのだが、セリやほうれん草の根についた泥が丁寧に落とされていく様や、小芋が囲炉裏で炙られる様がとても感動的で、最後まで画面に引き込まれた。
精進料理の数々がどれも本当に美味しそうで、個人的にはシンプルに茹でた柔らかそうな筍が一番食べてみたいと思った。
また啓蟄から始まり、二十四節気ごとのそれぞれの山の景色が堪能できる作品でもあった。
舞台は信州の山奥。
13年前に妻に先立たれた作家のツトムは、かつて禅寺で身につけた精進料理を作りながら、一人で慎ましい暮らしを送っていた。
時折東京から訪ねてくる真知子との恋人とも呼べない微妙な関係が面白い。
割と遠慮なく真知子に色々と手伝わせようとするツトムの姿が図々しくもあるのだが、おそらく彼に頼られることは真知子にとっても嬉しいことなのだろう。
真知子がいない時のツトムの日常はとても質素だ。
山菜を採りに出かけたり、畑を耕したり、家の拭き掃除をしたり。
身体を動かして、腹が減ったら山の恵みをいただく。
時折、彼は同じく一人で暮らす亡くなった妻の母チエのもとを訪れる。
どうやらチエは気難しい性格のようだ。
ツトムは亡くなった妻の遺骨をいつまでも家に置き続けていることをチエに咎められる。
ツトムは頭を下げて謝るものの、おそらく遺骨を墓に入れる意志はない。
いまひとつ真知子との関係を発展させられないのも、ツトムの心に妻の死がまだ大きな傷を残しているからなのだろう。
物語はチエの唐突な死で動き出す。
無責任なチエの息子夫婦は、葬式の一切をツトムに任せっきりにしてしまう。
ただ弔問客をもてなすために、ツトムが丹精込めて作る精進料理は本当に美味しそうだった。
もちろん真知子も手伝わされる。
結果的にツトムはチエの遺骨まで押し付けられてしまう。
やがて自分の死について考え出すツトム。
そんな折に彼は心筋梗塞で倒れてしまう。
真知子の発見によって一命を取り留めたツトム。
彼は救急車の中で「死にたくない」と繰り返していたらしい。
真知子は色々と考えて、ツトムと一緒に暮らすことを申し出る。
ここから真知子との仲が急接近するかと思えば、あっさりツトムは真知子の申し出を断る。
自分は一人で生きるのが合っているのだと。
こうして二人の関係は終わりを告げてしまう。
あれほど死にたくないと思っていたツトムが、死の準備をしながら生きることを決めるのも不思議なものだ。
人はどうしても先のことを考えてしまうが、それは視野を拡げているようで、実は狭めていることなのだ。
どれだけ先の心配をしても、その時が来なければ何も分からないのだから。
明日、明後日のことを考えるから、生きるのが億劫になる。
大切なことは、今日一日を精一杯生きることだ。
最後の瞬間まで清々しい作品で、都会で暮らしていると、色々なことを端折りながら生きているのだと改めて考えさせられた。