それぞれの人生の中で、抱えている哀しみもそれぞれにあって、それを癒してくれるものもそれぞれにある
ネタバレ
ツユクサ
小林聡美主演で、運転する自動車に隕石が直撃するという冒頭から、「かもめ食堂」のような脱力系のコメディ作品かと思っていた。しかし、確かに「癒し系」の作品ではあるけれども、さすが「愛を乞う人」の監督平山秀幸の手にかかると、雰囲気に流されない味わい深いものになっている。例えば、きちんと片付いた部屋の描写でヒロインの性格や普段の生活ぶりが見え、わずかな工場での描写でも真面目な勤務の様子が見えるなど、さすがの技を感じさせられる。しかも、本作は映画オリジナルシナリオで、かつ中年女性がヒロインという地味さもあって、映画化が実現されるまでに10年もの年月を要したそうで、その結果、細かなところまでシナリオが練られている。
地方の漁村に暮らす独身の中年女性芙美(小林聡美)は、仕事先での仲のよい同僚に恵まれ、穏やかな日々を過ごしている。しかしその一方で、過去、息子を事故で失い、酒におぼれた経験を持ち、現在、断酒会に入っている。同僚の妙子(江口のりこ)、直子(平岩紙)そしてその息子との関係性が非常に暖かで、見ているだけでほっこりさせられる(特に、妙子と住職(実はサーファー)の恋愛エピソードが笑える)。ただし、彼女たちも夫を亡くしたもの、再婚で息子が義父になつかないなど、それぞれに事情を抱えている。そこに、芙美がひょんなことから、ガードマンをする吾郎(松重豊、「孤独のグルメ」同じ役名だ!)と知り合う。ここからの大人の抑制をかけざるをえない、ぎこちない恋愛がいい。特に、芙美が自分への予防線も兼ねて、自分には夫子供がいると吾郎に嘘をつくのがなんとなくわかる。芙美を演じる小林聡美の持つ不思議な永遠の少女性がこの役にはまっている。そんな中、実は、吾郎も実は歯科医であったが、鬱病で妻が自殺してこの漁村に流れてきたことがわかる。
それぞれの人生の中で、抱えている哀しみもそれぞれにあって、それを癒してくれるものもそれぞれにあるということ。ラスト、あきらめかけた芙美の元に、吾郎が会いに来る場面で、芙美が海を超えてジャンプする映画的けれんを「ありえない」なんて批判することはしたくない。映画だって、人を癒すことのできる力を持っているのだ。