物語は,女性ボクサーが通うジムが閉鎖されるというだけでもある.ショットは400ほどが費やされ,時折,10ショットにも満たないが,手話に対応した字幕が入る.いたってシンプルであり,ミニマルであり,何も起きないと言ってしまえば,舞台となる現代の日本の大都会の変転ぶり,そこに暮らす人々の波乱に比べれば,何も起きない.
「荒川」を冠したボクシングジムのリングの脇で,トレーナーである松本(松浦慎一郎)か林(三浦誠己)の「ゆっくり」という指導が聞こえている.ボクシングというスポーツあるいは「戦い」にとって,この「ゆっくり」は逆説的にも聞こえる.しかし,主人公のケイコ(岸井ゆきの)には,「ゆっくり」という声は聞こえていない.彼女は,聴覚障害者であり,音によるコミュニケーションをとることができない,マスクをすることが求められる社会にあって読唇や,まだ誰もが使えるわけではない社会にあって手話により,健常者との会話をすることができる.彼女が声を発する場面もあり,そのエモーションに揺さぶられる.また,彼女は,ホワイトボードを使った筆談や,日記あるいは手紙,スマホを使ったラインや動画で他者や自己とやりとりすることもできる.
それでも,無情にもといってよいだろう,彼女には聞こえない音が,画面の方から聞こえてくる.ミットを叩く音,縄跳びで跳んだ足が着地する音,電車が走る音,蛇口から水が噴き出す音,カメラに焚かれるフラッシュの音などである.同居している彼女の弟(佐藤緋美)がギターを弾いているのは,そしてヘッドフォンをしているのは,逆に姉に気を遣っているのだろうか.こうした小さい音,小さくもない音がリズムを刻みつつ,何も起こらないように見えて,「着実に変化」をもたらしている.小さな雨粒が石を穿つように.しかし,その音たちはケイコには響いていない.彼女の耳には,ジムが閉鎖する噂も聞こえてこない.リングでも孤独に,審判の声も聞こえず,審判に声を伝えることもできず,孤独に対戦相手と殴り合う.その拳は,手話するあの手でもあり,手話よりも力強く,直接的に,人間に触れようとしている.