11歳の時に突然手の麻痺が起こり、そこから硬直が全身に広がり、以来30年もの月日を寝たきりで過ごしてきたレナード。
そのレナードが入院する慢性神経症患者専門の病院に、いかにも人付き合いが苦手そうなおどおどとした様子のセイヤー医師が赴任してくる。
今まで研究に時間を費やしてばかりで、臨床の経験がほぼないセイヤー。
最初は予想外の反応を示す患者にビクついたり、接し方が分からずに戸惑うセイヤーだが、ふとしたきっかけで彼はまったく反応のないルーシーという患者に反射神経が残っていることを発見する。
そしてそれは他の反応のない患者も同じであることに気付く。
一度何かに熱中するととことん突き止めたくなるタチなのだろう、セイヤーは勢い込んでこの事実を他の医師たちとも共有しようとする。
が、もともと患者を治療出来るとは思っていない彼らはセイヤーの言葉に真剣に取り合おうとしない。
ただ看護師のエレノアだけは彼の言葉に感銘を受ける。
セイヤーが様々な実験によって患者たちから様々な反応を引き出す姿は興味深かった。
そして彼はまだ実験段階のパーキンソン病治療のたの新薬を使うことを上司のカウフマンに申し出る。
カウフマンは莫大な費用がかかるために一人の患者に使用する場合においてのみ許可をする。
セイヤーはその新薬をレナードに使用する。
そしてある日突然、レナードは30年ぶりに目を覚ます。
この映画も見せ方が上手だと感じたが、テーブルに向かい文字を書くレナードをセイヤーが見つけるシーンはとても感動的だ。
そしてレナードが自分の姿を鏡で見た時の戸惑いの表情も印象的だった。
彼の中ではすっぽりと30年分の記憶が抜け落ちていた。
今までの時間を取り戻すようにセイヤーは回復したレナードを連れて町に繰り出す。
やがて二人は医師と患者の関係を超えた友情を育んでいく。
レナードに続き、他の反応のない患者たちにも新薬の投薬が認められる。
彼らがレナードと同じように突然目を覚まし、生きている喜びを噛みしめる奇跡のようなシーンはやはり感動的だ。
これが映画のクライマックスでも良いぐらいなのだが、目が覚めた彼らの人生はここからまた始まるのだ。
この彼らの長い眠りからの目覚めが感動的であるだけに、ここからの展開はとても辛く残酷だ。
この作品を観て、改めて幸せとは何かを深く考えさせられた。
目覚めた瞬間は幸福に包まれた患者たちだが、やがて現実に直面するにつれて不満を口にするようになる。
本当は朝目が覚めて自由に体を動かすことが出来る。
それだけでもとても幸運で幸せなことなのだ。
それなのに人はすぐその幸せに慣れてしまい、それを当たり前のことだと捉えてしまう。
レナードはその事実をもっと人々に伝えるべきだと主張する。
しかしそんなレナードもやがてポーラという女性に恋をすると、自分が病院に閉じ込められた不自由な存在であることに不満を抱くようになる。
本当はまだ新薬は実験段階であり、治療を続けなければどんな症状が起こるか分からないのだが、不満の限界に達したレナードは強硬的に病院を出ようとしてしまう。
そしてそれを阻止されたレナードは他の患者たちも扇動しながら、セイヤーを含めた医師たちに敵意を表すようになる。
しかしその怒りが引き金になったのか、レナードの身体には再び麻痺の症状が現れてしまう。
セイヤーは投薬の量を増やすが効果も虚しく、新薬の副作用によりレナードの症状は悪化してしまう。
そして他の患者たちもいずれ自分たちも同じ運命を辿るのかと不安にかられるようになる。
一度は人生に絶望し、破壊衝動を抑えられなくなったレナードだが、彼は後世の人々のために自分の姿をカメラに写して残すことを切望するようになる。
また意識のない深い眠りに戻ってしまう、その恐怖は計り知れないものだと思う。
それでも人のために生きることを選んだレナードの選択はとても尊いものだと感じた。
レナードにとっては試練だらけの人生だったろう。
と同時にレナードの人生に携わることはセイヤーにとっても大きな試練だった。
レナードは再び深い眠りに戻れば、もう人生の苦しみを感じることはないのだろう。
しかしセイヤーはずっと彼を救えなかった無念の思いと罪悪感を抱えて生きていくことになる。
彼は善良で親切だが、再び希望を失っていく人々の心に寄り添えるだけの心の強さは持ち合わせていなかった。
彼は与えたものを再び奪ってしまったと後悔の念を口にする。
しかし、それは実は傲慢な考えなのかもしれない。
この映画を観て人の尊厳についても深く考えさせられた。
本来、人はそれぞれに自立した存在であり、代替不可能なかけがえのない存在である。
しかし人はついつい他人を自分にとって都合の良い道具として見てしまう。
レナードの母親が彼に接する態度がとても印象的だった。
彼女は30年間も献身的にレナードを支え続けてきた。
しかし彼が目を覚ました後も、自分が寄り添っていなければ彼は生きていけないと過剰に心配をし続けてしまう。
彼女の中ではレナードは常に庇護すべき対象であり、彼女は彼にそのような役割を求め続けてしまっているのだ。
そしてそれはセイヤーや他の医師たちも同じなのだと思う。
自分たちは彼らを目覚めさせてあげた。
その思いが患者たちを縛り付けてしまっている。
もっとも最終的には患者たちは再び長い眠りに戻ってしまうのだが、目を覚ました短いひと時だけは彼らは自分の意志で行動できる自立した存在だったのだ。
とても重い気持ちになる作品ではあったが、セイヤーが勇気を出してエレノアにアプローチをするラストシーンに少しだけ心が救われた。
症状が悪化してしまったレナードとポーラのダンスシーンも胸が熱くなった。
あの一瞬だけ彼は麻痺から開放された。
そしてもちろんレナードを演じたロバート・デ・ニーロは素晴らしかったのだが、セイヤー役のロビン・ウィリアムズも本当にそういう人だとしか思えないほど役の人生を生きていて感動させられた。