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「川を渡る電車」がひとつのキーワードであり、近鉄電車も全面協力とのことだが、その肝心の穏やかで美しいロケーションを活かしたダイナミズムが感じられず、同じ土地に流れる大きな時間も過去のシーンが時折挿入されるばかりでこぢんまりした箱庭のよう。殺伐としたニュースばかりの現代において「人に親切であること」は最も重んずるべき行動の一つと思うが、全員が似たような方向を向いた、見事にやさしくいい人たちしか登場しない世界で描かれても、その嘘くささが悪手になる。
人工知能の発達や記憶というテーマをめぐって、二十世紀から今までさまざまな物語や映画がつくられてきた。本作では「自由死を選んだ母の本心」というミステリを出発点に「格差」に「愛」などテーマは広がるも、すべてつまんだようで半端な印象がぬぐえないし、取ってつけたようなダンスシーンにも鼻白む。しかし某大ヒットアニメ映画の際にも同じような指摘がされていたが、まったく必要とも思えない、ポルノの見過ぎと言いたくなるような台詞を10代の女の子に言わせるのは一体なんなのか。
緑が毒々しいくらいに鮮やかで、多様なイメージとともに生と死、幻と現実、そしてふたりのやりとりにもあるように、他者と自分の夢が交わるような場所にひかれた道をゆったりと進んでゆく。面白いのが狙ってか狙わずしてか、主人公のふたりだけが見えているであろう景色のみが生き生きとみえ、どうにも相容れないであろう他者の描写は(たとえ肉親であっても)どんよりと冗長だ。社会が介入したあとに、ついには観客の目にもみえるかたちで夢が噴出するラストシーンが潔く、美しい。
ネトフリ作品にはまったく疎い筆者でも耳にするドラマ『地面師たち』が流行ったタイミングでの詐欺集団映画は吉と出るか凶と出るか。詐欺集団と脱税王の二、三転する攻防戦を期待したが絶体絶命のピンチもなくクライマックスまで進んでゆくが、内野、岡田、小澤のキャストはハマり役。安心感ある娯楽作だが、もともとは人気スター主演の韓国ドラマがオリジナルとのことで、我々も年々高くなっていくあらゆる税金に苦しめられ中とはいえ、わざわざリメイクする必要があったのか疑問。
善い人ばかりが出てくる小説は嘘くさいと思ってきたが、いまは信じたい、と作中人物のひとりが述べる。実際、この映画には善人ばかりが出てくるのだし、その善人たちが偶然の作用でつながっていく美しい物語となっている。人生に希望を抱かせてくれる一方で、きちんとした人物造形と手堅い演出が印象的な映画でもある。だがそうしたすべての根源にひとりの人間の死があることを、この映画は本当に突き詰めているのだろうか。きれいなベールでくるむことになってはいないだろうか。
すぐれた原作があり、実力のある俳優陣が揃い、優秀なスタッフが控えていれば、成功作となる素地はできている。AIや仮想現実がテーマとなると、話題性にも事欠かない。しかし、すべての要素が集まっているからこそ、それをどう組み立てていくかが問題で、監督の演出術がより大事になる。石井裕也監督は、壮大なテーマをはらんだ物語を、ある意味ではごく素朴に、それでいてきわめて繊細に扱った。むやみにCGを使わず、簡潔に撮り上げる演出のもとで、物語に生命が宿ったのである。
原作が詩集だからでもあるのだろうが、それこそ詩的であり、同時に、乾いたユーモアで彩られ、一風変わったロードムーヴィーになっている。しかも、ラストにはファンタジー的とも呼べるシーンが置かれている映画だ。そうした映画のあり方から逆算したのかもしれないが、独特の演出法が採られている。それは、森井勇佑監督の才気煥発ぶりを示す演出でもある。しかし、こうした演出をするのであれば、エピソードを少し刈込み、もっと省略表現を効果的に用いるべきだったのではないか。
詐欺師が活躍する犯罪映画である以上、予想外の展開で観客を唸らせることが目指されている。事実、原作にあった設定とはいえ、公務員と詐欺師という意外な組合せは、公務員を内気な男にすることでより際立った。だが一方で、いかに予想外であっても、観客を納得させる着地点を作らねばならないのがこのジャンルだ。つまり、予定調和的になるのであり、そのあたりは上田慎一郎監督の真骨頂ともいえる。だが今回は、すべてがあまりにも予定調和的になってしまったのではないだろうか。
ウェルメイドな人情群像劇。知った同士が助け合うのではなく、知らない人にどこかで助けられていたことにそれぞれが気づく。各人物を繋いでいる不在の存在を中心にまるでスライドパズルのように全体像が動き、最後に完成する。不在が現存を動かすという機制は、当初の監督の死去に伴い、現監督が引き継いだという製作過程にも表れていて、その形式内容の一致に驚く。エンドタイトルで、主演の黒木が荒木一郎のTVドラマ主題歌を歌う選択にもグッと来た。
AIが死んだ母を生成するということの倫理的問題、また息子の心理的揺らぎがメインのはずだが、自死の問題(権力による福祉負担減少の狙いも)、アバターの行動代理(リアルの負担が弱者に負わされる格差構造)といった副筋が入り込んでくるため焦点がぼやけ、まとまりが弱化。AIによる人格生成自体が込み入った複層的な問題を提示することは分かるし、塊を投げつけるかのような演出が監督の持ち味であることを承知したうえで、より丁寧な作劇が欲しかった。
原作となる詩集を未読なので、そこからどのように想像力を働かせてここに至ったのかは評価しかねるのだが、しかしいくら詩集からの映画化とは言えこの緩さはどうなのか。ロードムービー自体が緩い枠組みではあり、しかしそれが生まれるには歴史的必然があった筈で、その意識が欠けた本作では単に人と次々出会うための形式に過ぎない。変な人たちをロングで、変な間で捉えれば面白くなるのか。新進なら水平的な加算でなく垂直的掘り下げの困難な道を選ぶべきでは。
詐欺集団が詐欺を仕掛ける相手が悪徳不動産屋なので、勧善懲悪、気分良く見られるのは確かだが、素人の税務署員が絡むことでリスクが高まる。というか、部下にも上司にも友人の刑事にも、果ては娘にまで何かしていると感づかれるようでは大丈夫かとこちらが心配になるレベルなのだが、その危うさが計画を左右するキーになるというわけでもなく、天才的な計画の体で話が進むのも疑問。その犯行も地面師詐欺で、ネトフリのドラマの後では描写が雑に見える。