日本の名棋士、松波麟作と中国の江南の棋王と謳われた况易山は、一九二四年、北京で運命的な出会いをした。その二人の対局は官憲により中断させられたが、江南の麒麟児といわれる况の息子、阿明は、その天分を伸ばすために、日本の松波のもとに預けられることになった。才能を発揮していく阿明は、松波のひとり娘、巴といつしか愛しあうようになる。しかし、日中戦争の激化のなかで、二人の恋愛関係は複雑な波紋を周囲に投げかけた。天聖位の獲得を契機に、阿明は祖国に帰って銃をとる決意をし、妻の巴を伴って、密行による国外脱出を企てる。しかし、出航を目前に、夜の埠頭で阿明は射殺され、巴は憲兵に逮捕される。戦後、すべての家族を失った况は、息子、阿明の消息を求めて焼跡の東京を訪ねた。だが、彼は阿明が、こともあろうに、松波の謀略で国外脱出の際、憲兵に射殺されたと知らされる。さらに况は、阿明の妻、巴の発狂した姿を見せられ、松波も戦死したと聞かされる。やり場のない怒りと絶望のなかで况は、中国に帰った。だが、実は松波は生きていた。しかし、すでに碁は捨てて酒びたりの自堕落の生活をしている。一九五六年、日中間の民間交流が芽ばえる中で、况のもとに松波の訪中が伝えられた。“松波が生きていた”すべてを忘れようとしてきた况にとって、それは複雑な動揺をもたらした。今や廃墟となった旧况家で、松波と况は再会するや、松波は誰にも言えなかった阿明の射殺の真相を告白した。ただ慟哭するばかりの况。しかし、阿明と巴の遺児、華林は明るく育っていた。その孫娘に促されるように、松波と况は、阿明と巴の遺骨を美しい大湖に沈めた。そしていつしか二人は、虚空の盤の上に、三十年前の打ちかけの碁を打ちはじめるのだった。