浜島幸雄はある日、幼馴染の小磯泰子の呼びかけにふりかえった。この偶然こそ、平凡な男の生涯を根底からゆさぶる運命の声であった。浜島は旅行案内所に勤続十二年の係長で妻の啓子は万事に社交好きで陽気である。毎日が会社と団地の往復、生活も仕事も単調で味気ない浜島は、泰子に会って同じバスに乗っただけで軽い興奮があった。二度目に泰子に会った時、すすめられるままに泰子の家を訪ねた。四年前に夫に死なれた泰子は六歳の健一と二人暮し。保険の集金と勧誘でつつましい生活だ。健一は父親がないためか、孤独癖のある無口な子供だった。夢多き思春期の共通の追憶に話がはずみ、浜島の泰子への傾斜は急ピッチであった。やがて、狭い泰子の家では、健一の眼が浜島には苦手な存在になった。だが、自然の成り行きで二人は結ばれた。初夜のように白無垢の長襦袢で浜島を迎えた泰子がいじらしかった。浜島は健一を手なづけようと、心をくだいたが、その都度失敗した。浜島にも幼い日に夫を失った母と伯父との間に立たされた忘れ得ぬ記憶があったから健一の反感が必要以上に応えた。そして、健一が自分を殺そうとしている突飛な幻想に悩まされはじめた。一度は妻と別れて泰子と結婚しようと決心しながら、健一のことを考えるとまた泰子を諦らめようかと思い迷った。空閨を癒やされた泰子は啓子への後ろめたさも、浜島を見る健一の白い目にも心を向けず、ひたすら愛欲の歓びに溺れた。紅葉のころ、浜島苦心のドライブ旅行も小さな健一の本能的な男性にはね返されてしまった。浜島は再び幻影の虜になった。宿命というには、余りにも似かよった浜島自身の幼年期の体験。あの時のように俺は健一に殺される。泰子は浜島のノイローゼを満ちたりた笑いで一蹴した。しかし、おそるべき運命の符合は、悪魔のいたずらか、結末が逆になった。浜島が健一の首をしめてしまったのだ。浜島は六歳の子供である健一が鉈をふりかざして、浜島に迫った殺意を信じている。たとえ世間のすべての人が否定しようとも、かつて六歳の浜島が自覚した殺意の衝動、憎悪の瞬間を事実として告白し、一生叫びつづけなければならないのだ。