ここは北支戦線の一拠点、つい前日まで激戦が展開され岡田部隊が半数もの精鋭を失ったところである。岡田部隊長は歩哨の配置を終えると兵に休息を与えた。岡田は安田伍長や藤本軍曹と陣中日誌を見返しながら、激戦の跡を語りあった。翌朝、正木一等兵ら負傷兵を収容するために病院車が到着した。正木は右手に貫通銃創を受けていたが後送をいやがった。岡田部隊長が本隊から伝令を受けたのは、正木らを送りだした直後だった。岡田は早速藤本軍曹を長とする五人の斥候兵を前面の小範村付近の敵状捜査に派遣した。平坦な草原を抜け、川岸に出た五人は、対岸に多数の中国兵を発見して緊張した。そこにはトーチカ、塹壕、歩哨線が発見された。それらの位置を確認した藤本は一番早く隊に戻った者が報告するよう命令した。その時、木口一等兵が背後に敵兵がいることを発見、包囲されていることを知った。藤本軍曹は、戦友にかまわず一刻も早く本隊に報告せよと命令して、窪地から飛びだした。本隊の岡田部隊長は五人の帰隊が遅いのを心配していた。そんなところへ、まず藤本が帰り状況を報告しつづいて長野が、そして遠山と中村が生還した。中村は心配のあまり木口と離れた場所に戻り鉄兜を持ち帰って来た。やがて部隊に不安と焦りの色が濃くなった。そのうち雨が降りだし視界はとだえた。たまりかねた中村と遠山は木口捜索の許可を願い出たが、総攻撃の前に私事は許されなかった。そんな折、本部から伝令がきた。岡田部隊は明朝五時、右翼の石原部隊、左翼の山根部隊と連繋をとり敵陣を占拠せよ、というものだった。やがて雨がやみ、視界がはっきりしてきた時、泥濘の中をふらふらしながら近づいてくる者がいた。木口だった。木口は、鉄兜を失くしましたと報告したが、中村によって持ち帰られたと聞くと疲労を忘れたかのように喜んだ。