京都郊外にある正倫女子大学は、校母大友女史の奉ずるいわゆる良妻賢母型女子育成を教育の理想とし、徹底した束縛主義で学生たちに臨んでいた。七つの寮に起居する学生たちは、補導監平戸喜平、寮母五条真弓などのきびしい干渉をうけていた。姫路の瀬戸物屋の娘である新入生の出石芳江は、三年程銀行勤めをしたのちに入学したせいか、消燈時間の禁を破ってまで勉強しなければほかの学生たちについて行くことが出来ず、その上、同郷の青年で東京の大学に学ぶ恋人下田参吉との自由な文通も許されぬ寮生活に苦痛を感じていた。芳江と同室の新入生で敦賀から来ている滝岡富子はテニスの選手だったが、テニス友達の大学生相良との交際が学校の忌にふれて冬休み前停学処分をうけてしまった。赤い思想を持つと噂される奈良出身の上級生林野明子は、学校の有力な後援者の子女であるために、学校当局も特別扱いにしていた。冬休中、芳江は厳格な父の眼をくぐって参吉とほんの束の間逢うことができた。が、休みが明け、富子の休み中の行動を五条たちが糾弾したことから、明子を先頭に学生たちの自由を求める声は爆発した。かねて亡妻の面影を芳江に見出して、彼女に関心を抱いていた平戸は、学校側が騒ぎを起した学生たちを罰したとき、芳江だけに特に軽い処置をした。そしてこの罰の不均等は学生たちの団結を崩そうとする学校側の手だったのだった。芳江は学校側の巧妙な切崩工作の対象となって学生たちの反感を買わねばならなくなった。このショックに神経衰弱気味になった芳江は、寮をとび出して一時は東京の下田の許に身を寄せたが、同僚への責任感に悩んで再び学校に戻り、人気ない夜の教室で自殺した。この事件は校内に激しい波乱を呼び、学校側も学生側も互にそれぞれの立場で激した感情を相手にぶちまけて混乱は一層烈しくなって行った。