大正末期、沢田正二郎が新国劇で売出した頃、大阪の殺陣師市川段平は、梳髪屋を開く女房お春、雇い娘おきくと共に貧しいが男の意気一本に生きる生活を送っていた。沢正は舞台の剣戟に新らしい写実的な様式を導入しようとし、段平も新らしい型の創造に苦心したが、ある日沢正が土地の不良を投げ飛ばしたことからヒントを得て、真に迫った殺陣をつけることが出来た。つづいて東京「明治座」へ沢正が出ることになり、段平も勇んで上京したが、その出しものは「桃中軒雲右エ門」、剣戟場面がないので段平は失望するのだった。五年後、沢正は南座に「国定忠治」をひっさげて公演することになった。しかし段平は中風で重態となり、晴れの舞台に殺陣をつけることが出来ない。開幕が迫り沢正が失望していた矢先、雇い娘のおきくが駈け込んで来た。段平の型を教わり、それを伝えるために来たのである。彼女は、段平そのままの殺陣を演じ、沢正を驚ろかせた。舞台を終え、病床に駈けつけた沢正の手を握り、自分を父と思うおきくに見とられながら殺陣師段平は大往生をとげた。