毛利格子が、母月子のすすめで明治座で初舞台を踏んだのは二十歳のとき。月子は楽屋中に愛想をふりまいて歩き、花形スターになるためには幹部俳優や作者の先生方の御機嫌取りが大切と娘に教えた。初日、サクラの声援でノボセ上った格子は幹部の藤枝太郎に怒鳴りつけられてしまう。娘に代って謝まる母の月子。ママのため女優にされたんだ、と格子は当り散らすが、月子は、誰でも怒られ叩かれして芸の道に入るのだと諭す。月子の歩んだ道もそうだった。次第に女優らしさを備えてきた格子は、ある日、舞台の袖で藤枝の強引な接吻を受け、その夜とある待合で肉体関係を結んだ。しかし彼には妻があった。藤枝は一座の中心、頼むから彼に従ってくれと主事の山下は願う。やがて皆は座長北林の傘下を離れ、藤枝を中心に明星新派を設立。旗挙げ興行は大成功、相手役の格子も一躍人気スターとなり、藤枝と組んで映画「残菊物語」にも主演。しかし夢心地の格子も、山下から“劇団統制のため藤枝と手を切ってくれ”と、事務的に切り出される。傷心の格子は、“女優は芸が夫”という母にも我慢ならず、周囲の反対を押し切って本格的な女優修業のため独立した。再出発の時、相談相手になってくれた文芸部の里宮明夫と結婚。しかし山下は、格子脱退の責で明夫をクビにした。程なく念願叶い、彼女等の劇団“木の実座”は誕生。処が第一回公演の舞台で格子は視力の衰えを感じる。医師の診断もハッキリせず、花形を失った一座は解散し、失意の底で産んだ女児は真喜子と名づけ、明夫の実家にあずけられる。追いつめられた生活の果て明夫も去り、遂に母のすすめと山下の温情で格子は新派に復帰。だが劇団の空気は冷たかった。大阪公演の際には、数年で完全に失明との冷たい宣告。しかし格子は田畑青年の励ましで“浪花女”の舞台を最後に、暗黒の中にも新しい人生の道を歩み出した。