戦争のさなか。小柴健一は輸送船が爆撃で沈没後中国沿岸を漂流中、中国の漁夫に救われ、以来中国軍にいて働いていた。東京の留守宅では健一戦死の公報を受け妻町子が幼い茂男と細々と暮していた。ある日町子は健一や彼女の幼な友達でいま戦傷の身を陸軍病院に養う康吉を見舞ったが発作を起して意識不明の康吉の唇から町子の名を呼ぶ言葉が洩らされた。回復した康吉は病院からミシン工場へ通いつつ何くれとなく町子と茂男に暖かい心を配っていた。空襲が次第に激しくなり町子の家も強制疎開で大邸宅のガレージに入れられた。戦争が進んでゆくにつれ人々の生活はますます苦しくなり、町子の心は暗くなるばかりだった。その頃全快した康吉が退院してきて、町子に自分を「坊やのお父さん」してもらいたいと秘めていた想いを打ち明けた。何一つ頼りになるもののない町子はこの言葉に強く打たれた。茂男が康吉になついていることも彼女の決心を固めるのに役立った。やがて康吉との生活が始まり町子一家にある明るい希望が生れたようだった。しかし空腹がますます激化したある夜ついに彼女たちの家も灰じんに帰し、町子と茂男は身体だけ無事に助ったが翌朝彼女が探し求めていた康吉は精神に異常を来して焼跡に突立っていた。八月十五日、そうして無条件降伏。日本の国に再び平和の日が巡ってきた。中国にいた健一も帰還してきた。その健一が見たものは、しかしあまりにも惨めな敗戦の現実だった。八年ぶりで町子に巡り会った健一にとって彼女が康吉と結婚して、その上すでに子供まで宿していることは例えようのない打撃だった。絶望のどん底に突き落された健一はもとの国民学校の先生になるべく茂男を連れて行きたいと思ったが、いまはその茂男でさえ康吉になついているのを見て諦めた。街には一部のヤミ階級だけが肥え太って氾濫していた。食糧デモの列に思わず入って腕を組む健一だった。発狂の康吉は毎日うつろにミシンを踏んでいたがある日誤って手の甲に針を刺しその衝動で精神異状の状態から脱け出した。みんなの顔が明るくなったのも束の間、回復した康吉は町子と健一の間を疑いそのため自暴的となり争議切り崩しの暴力団に雇われた。町子の依頼で健一はその翻意を促したが、争いとなり康吉のピストルに腕を射たれた。しかし健一の気持はついに康吉を動かした。何日かのち、国民学校で子供たちに真の平和を説く健一の姿があった。