1908年(明治41年)奈良・小森で生まれ育った畑中誠太郎と孝二の兄弟。日露戦争で父親を亡くした二人は、ぬいというしっかり者の祖母と、ふでという心やさしい母に育てられた。被差別部落である小森の子供たちは教員や級友からことごとくいじめられていた。1912年、11歳になった孝二は明治天皇の葬儀の夜、級友のまちえに淡い恋心を抱くが、それははかなく崩れ去ってしまう。孝二の従兄妹の七重は、孝二に恋心を抱いていたが、その一方で自分の子供が被差別部落の子としていじめられるのを恐れていた。そして孝二の気持ちがいつまでもまちえから離れないことを知った七重は、やがて同じ被差別部落の青年との結婚を決める。一方、ふでは隣家のかねの従兄弟・伊勢田と心の中だけで愛し合うようになる。ぬいだけはそのことを知っていたが、その愛が実を結ぶには2人の境遇があまりにも似過ぎていた。1918年、米屋で働いて8年が経ち、21歳になった誠太郎。米騒動の大混乱の中で、米屋の主人・安井の娘あさ子は「父がどんなに隠していても自分が被差別部落民の子であることは、子供の時から知っていた」と誠太郎に語り、ふたりの距離は一気に近づいていく。そのころ、孝二は差別の廃止と人間愛を訴えるため創立された『水平社』に参加。だが、七重の祝言を前に、彼女の夫になる青年と共に孝二は警察に逮捕される。七重は「うち、水平社宣言と結婚するんやもん」と、花婿がいないまま結婚式をあげた。それは流れの激しい人の心の川に大きな橋をかける新しい闘いの始まりでもあった。