昭和11年2月1日、東京は中野の料亭「吉田屋」に、30過ぎの女が、女中として住み込んだ。名は阿部定と言ったが、店では、加代と名付けられた。定は神田で繁昌している畳屋の末娘だったが、15歳の時に大学生に犯されて以来、不良となり、18歳で芸者に出され、以後娼妓、私娼、妾などの生活を転々としてきたのだった。しかし、最近彼女のパトロンになった名古屋の商業高校の校長は、定が浮草のような生活を止めて、真面目になるなら小料理屋を出してくれることになり、修業のために定は女中奉公に出たのだった。だが、定は吉田屋の主人吉蔵に一目惚れしてしまった。吉蔵も、水商売の歳月を重ねてきた定の小粋な姿に惹きつけられた。二人は夜更けの応接間や、早朝の離れ座敷などで密会を重ねていくうちに、ついに吉蔵の妻に知れてしまった。そして、その翌日、二人は駆け落ちした。最初は一日か二日のつもりで家を出て来た吉蔵も、いつしか定の情熱に引きずられていった。やがて金のなくなった定は、吉蔵に自分の赤い長襦袢を着せて部屋に閉じ込め、自分は名古屋のパトロンのもとへ金策に行った。その離れている時間の切なさ。再会した二人は、さらに待合を転々として愛欲の世界に浸り込んでいくのだった。二人が駈け落ちしてから二週間経った。吉蔵は「二人が末長く楽しむために」どうしても一度家へ戻って処理しなければならないことがある、と言った。定はいやいや承知した。互いに想いを慕らせた二人が再会したのは5日目の5月11日だった。二人は待合の一室に篭ったまま果てしない愛欲の生活にのめり込んでいった。定は戯れに「今度、別れようとしたら殺してやる!」と叫んで出刃包丁をふりかざすのだった。5月16日夜、戯れに吉蔵の首を締めていた定の手に力が入りすぎ、吉蔵の顔は赤く腫れあがってしまった。定は懸命に介抱するが直らず、吉歳は一旦、家へ帰って養生する結論を出した。しかし、定は前に別れていた時の切なさを思い出し、吉蔵を自分一人のものにするため、吉蔵を殺す決意をした。定は疲れ果ててまどろむ吉蔵の首に腰紐を巻きつけ、力を込めた。しばし死んだ吉蔵に添寝していた定は、吉蔵への愛絶ちがたく、その陰部を出刃包丁で切り取り、肌身につけるのだった。