恥ずかしながら、嗚咽が止まらず立ち上がれなかった。
メリックと一体化したのだと思う。
望みをかなえ、最高に幸せだったその夜、メリックと共に私も死の床につくことを選んだのだと思う。
と同時に、泣きながら、この監督(リンチ監督とは初出会い)はなんと意地が悪いんだろうと思っていた。
異形の存在と対面して、人はどのようにふるまうのか、そこが問われていた。
どの範囲までをおまえは「ふつう」だと思うのかね。どの範囲を超えたらおまえは「見世物」としてあるいは「実験材料」としてあるいは「同情や慈善の対象」としてとらえるのかね。
かつて日本でも見世物小屋は隆盛をきわめていた。小屋で「展示」されていた異形の人々は、そのことを宿命だと諦めていたのか、それとも生きていく術だと割り切っていたのか。
富の偏り、あるいは全体の窮乏により、「ふつう」でない者に無償で「分け与える」社会的資源がない場合、「ふつう」でない者は、人間としての尊厳を云々する前に、いかなる術を使って明日まで生き抜いていけるのか、そのこと以上に大切なことはなかったはず。
などと考え込んでいる時点でわたしはすでに冷血である気もする。
ひさしぶりに瞽女歌を聴きたくなった。
合掌