人は自分の失敗を認めないのは分かるが、それを隠すためにどんなに異常な手段でもってしてでもやるんだな、権力者は。
行方不明になった息子を探し求める母親の深い愛を描いたヒューマンなドラマ、というのが封切り時の時の印象であった。
ところが今回、DVDで鑑賞したらこの映画のテーマはそこではなく、当時のロス警察の腐れ切った体質を批判している社会派ドラマだった。
警察が母親が追っている息子と間違えて別の子を連れてきたのに、自分のミスを認めない。それどころか、別の子だと主張する母親を精神異常者として病院に強制入院させて、そこで拷問をするわでこの酷さ、犯罪組織と何が違うのかと思うくらい。自分のミスを隠すためには、この母親の口封じになんとも荒っぽいことをしている。ここで描かれるエピソードが映画だからということで、話を盛るとか脚色したとか言うのではなく、ほぼ事実だそうで、当時のロス市警の極悪ぶりには呆れてしまう。
権力者側の不正や腐敗ぶりを描く、ということは良く考えて見れば、これはそれをテーマにするのはいかにもクリント・イーストウッドらしいといえば、彼らしい題材だったのだ。
彼も反権力のスタンスを持っており、母親の愛情よりも、彼女がただの一般市民ながら、巨大な権力と立ち向かうところに、興味を示したのだろうと思う。
とはいえ、結局息子は連続少年誘拐殺人鬼の餌食になってしまったというあまりにも残酷な結末を迎えてしまい、痛ましいことになる。だが母親は息子がどこかで生きていると一生、探し続けたという。これも事実ならなんとも凄まじい話だろうと思い、最期の字幕でロス市警の腐敗などどこかへすっ飛んでしまう。だからこそ最初の鑑賞の時は母親の愛情が心に残ったのだ。
もちろんヒューマニズムの点からも視野に入れてはいるだろうが、クリント・イーストウッド監督ならば社会派的な視点がより重要だったように思える。
この映画、クリント・イーストウッドと共に「アポロ13」などの中堅の監督として活躍しているロン・ハワードもプロデューサーとして名を連ねている。もしかして、最初はロン・ハワードが監督するつもりだった?