その熱量を持って映画作りに望んでいた若松監督。
ずっと尖った映画を生み出し続けていたからこそ
閉塞感に息苦しさを感じる若者たちが次々と若松監督の門をたたく。
自分の映画を上映したいと映画館を作るその情熱が
関わる皆に伝播していく。
映画監督が夢の学生は怒られてばかり。
今じゃパワハラに取られてしまいかねないけれど
若松さんが若松監督になると、突如目の前の撮影現場の彩が変わってしまう。
彼が思い描いた絵コンテでは到底成しえない画を生み出してしまう。
映画監督にという夢が、いつしか違う道へ繋がっていく。
作品は杉田雷麟さん演じる若者が夢へと飛び込んでいく中で
映画作りは簡単じゃない事を知り
自分にできる事は何かと自身を見つめ直す成長の物語なんだろう。
脚本家の井上淳一さんの投影だとするこのキャラクター。
杉田さんの演技を通じて井上さんご自身の見て感じた事を表現したのでしょう。
そして東出昌大さんが演じた支配人の木全さん。
若松監督とはまた違ってエネルギッシュな方なんだなと思いました。
映画が斜陽な時代であり、Vシネマが少し先に誕生しようという時に
映画館を維持して、お客さんに来てもらう。
この難しさに真正面から取り組んだんですね。
ピンク映画から大手から外れた小規模作品へ。
ミニシアターの黎明期を支えた木全さんの半生のようなお話でもありました。
そして芋生悠さんが演じた女性…
彼女が一番胸中に抱え込んだものがあった事を
物語が進んだ先で魅せつけられました。
『人間としてのやさしさをみんなが持てば平和な世界になる』
と若松監督は映画キャタピラーの舞台挨拶でおっしゃいましたが
彼女のような人たちが安心や安全を感じられる事こそが平和な世界の第一歩なのかもしれません。
『火薬を使わない戦争映画で、いつか銃後を撮りたいと考えていた。
連合赤軍を撮った時に、この子達の背景には親世代の戦争の過ちがあったのだろうと感じた。
正義の戦争はない。戦争は人を殺す。相手も死ぬ、自分も死ぬ。
ベトナム、イラク、何度も同じ過ちを繰り返している。
1982年ベイルートに行ったとき、キャンプの大虐殺があった。
女性と子どもの死体の山、腐臭を漂わせ、恨みの顔で亡くなっている。
戦争で女性と子どもが犠牲になる。
戦争のない平和な世界にしてほしい。
人間としてのやさしさをみんなが持てば平和な世界になる』
こんな思いを抱いていた若松監督が
当時の、学生運動が完全に下火になった頃の
行き場のない情熱を持った若者たちの指針になったのでしょう。
彼らの青春をジャックして
止められるか、俺たちをと叫んでみせたアツイ作品。