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     KINENOTE DATA       前日比
会員数 54,725 0
総鑑賞データ数 7,059,303 861
総レビュー数 932,055 90
鑑賞方法別データ数
映画館 1,832,467 245
レンタル 596,811 12
購入 124,641 8
VOD 558,303 160
テレビ 923,328 159
その他 158,526 22

ミゼリコルディア

  • みぜりこるでぃあ
  • Miséricorde
  • Misericordia
  • 平均評点

    71.7点(3人)

  • 観たひと

    8

  • 観たいひと

    2

  • レビューの数

    3

基本情報

ジャンル コメディ / ドラマ
製作国 フランス
製作年 2024
公開年月日 2025/3/22
上映時間 103分
製作会社 CG Cinema=Scala Films=Arte France Cinema=Andergraun Films=Rosa Filmes
配給 サニーフィルム
レイティング
アスペクト比 シネマ・スコープ(1:2.35)
カラー/サイズ カラー/シネスコ
メディアタイプ ビデオ 他
音声 5.1ch
上映フォーマット デジタル

スタッフ

キャスト

出演フェリックス・キシル Jeremie Pastor
カトリーヌ・フロ Martine Rigal
ジャン=バティスト・デュラ Vincent Rigal
ジャック・ドゥヴレイ L'abbe Philippe Griseul

場面

予告編


     

解説

ゴダールに高く評価された現代フランスを代表する異才、アラン・ギロディ監督の長編7作目。2024年・第77回カンヌ国際映画祭プレミア部門正式出品。2024年度カイエ・デュ・シネマ誌ベストテン第1位を獲得。セクシュアリティやマイノリティに対する偏見や先入観をいなし、サスペンスにユーモアを織り交ぜながら、人間の根底にある欲望と人間愛を、意表を突くストーリー展開で描く。3月より東京のシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開の「〈特集上映〉アラン・ギロディ監督特集」にて「ノーバディーズ・ヒーロー」「湖の見知らぬ男」とともに3作品上映。

あらすじ

ジェレミーは、かつて師事していたパン屋の葬儀に参加するため帰郷し、男の未亡人マルティーヌの家に数日滞在することになる。音信不通となっていたかつての親友、未亡人の息子、奇妙な神父、そして、謎の失踪事件。それぞれの思惑と欲望が村に立ちこめる。

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  • 鑑賞日

    登録日 2025/03/27

    評点 80


    鑑賞方法 映画館/東京都/シアター・イメージフォーラム 


    アラン・ギロディを発見した。 ネタバレ

    映画の冒頭、ずっとカメラは車の運転席の目の前の風景を映し続ける。誰が運転していて、どこへ何の目的で向かっているのか分からない主観的な画。劇中、何度もこのようなショットが登場するが、行く先の見えない手探りの主観に支配されている本作には、目を逸らす暇もないほど興味を惹きつけられた。

    車に乗る男が田舎町のパン屋に到着すると、そこでは葬式が行われている。パン屋の亭主が亡くなったようだ。遺族と男は顔見知りで、もしかしたら、男はこのパン屋で修行した過去があったのかも。そこで何故か帰らずパン屋に居座る男。その男の意図を掴めずにいる未亡人、パン屋の息子たち一家、その隣人たちの様子を、何も確かな確信のないまま見続ける100分間。

    どうやら男は亡くなったパン屋を愛していたのかも。もしかしたら、彼はゲイなのかもしれない。が、自らが亡くなった亭主になりかわり未亡人と一緒になりたいのかも。まるでパトリシア・ハイスミスの『太陽がいっぱい』の世界だが、それすらもあり得る。不確かな掴みどころのない男だが、性別を越えた愛を求める異邦人のように思えてくる。男を助ける神父の行動だって、もちろん肉欲的なものもあったかもしれないが、聖職者の追求する愛の実践だったのかも。

    今回、紹介されたアラン・ギロディ監督の3作品いずれも性別や人種に囚われない自由かつ赤裸々すぎる描写で共通している。この『ミゼリコルディア』は特にバランス感覚が絶妙で、一応、事件が起こり、あまりに杜撰な後始末をする謎の男の危うすぎる行動が滑稽すぎて笑える。謎で不確かだからこそ好奇心を刺激され、マジメに見れば見るほど笑えてくる。とても面白いのだが、何が面白いのかを的確な言葉にするのが難しい。

    ところで全編にわたって謎の男の主観で描かれる本作。彼が盗み聞きしてしまう周囲の本音や突然、彼を突き動かす欲の衝動などで、彼を客観的に見せつつも、やはり男の意思が掴めない。サスペンスとしては、男の危うさにハラハラさせられるし、神父との共謀だって杜撰でいつ露見するか分からない。事件にオチがつかないのでサスペンスとしては弱い。そして何より未亡人との関係がどうなるのだろうか。そこのドラマも絶妙に肝心なところをスカし煙に巻くかのよう。これがアラン・ギロディの作劇の妙なのだろうが、やはり一見とっつきにくい。今回は無理やり「愛」ということで映画にまとまりを感じられたが、もっと簡潔に、欲望に素直な男は気味が悪い、という映画なのかもしれない。

    端正で美しい映画とは思わない。だが、この映画が非常に面白く何度も観れるような傑作だとは思う。

    アラン・ギロディ。特異な映画人がいたもんだ、と嘆息した。


  • 鑑賞日 2025/03/23

    登録日 2025/03/26

    評点 60


    鑑賞方法 映画館/東京都/シアター・イメージフォーラム 

    字幕


    サスペンスとしてはお粗末 ネタバレ

    ある殺人を起こした男を描いた愛憎劇。
    アラン・ギロディ監督特集ということで2本目の鑑賞となる。
    前作の『ノーバディーズ・ヒーロー』かコメディ的だったのでそんな感じで観始めたのですが、本作は殺人事件が絡んだ愛憎劇。
    監督の幅の広さを感じましたが、サスペンスとしてはお粗末だと思いました。

    昔、世話になったパン屋の店主が亡くなり、主人公はパン屋を訪れた。
    主人公はパン屋にしばらくいることになったのだが、というストーリー。

    主人公は30代だろうか。
    パン屋の息子は母を狙うなといってケンカになり、主人公は息子を殺してしまう。
    そこから言い訳になるのですが、、この言い訳がひどくてサスペンスとしてはお粗末に思います。

    ただ、主人公はゲイである。
    恐らく、60代か70代くらいの店主を好きだったようだ。
    店主の水着の写真やぽっちゃりオヤジを見る眼差しの熱いこと。
    そのぽっちゃりオヤジの下着を匂うのかと思ったら、自分で着てしまったのには驚きです。
    それに、いくらなんでも相撲を見るのは、どうかと思いました。

    また、殺人を目撃した神父はゲイなのか?
    主人公を庇い、告解をするところに神父だからなのか、愛なのかがわからなかったです。

    結末はパン屋の奥さんと一緒に寝る主人公。
    この奥さんは主人公を好きなようで、愛のバトルロイヤルといったところか。
    殺人事件にもう少し筋が通れば面白いと思ったのですが、あまりにも苦し紛れ過ぎました。


  • 鑑賞日 2025/03/23

    登録日 2025/03/25

    評点 75


    鑑賞方法 映画館/東京都/シアター・イメージフォーラム 

    字幕


    監督自身のフランス人的な感性に満ちているのでしょうか

     日経夕刊の映画評を読んで拝見してみたくなりました。
     不思議な雰囲気に満ちた、たぶん全編フランス人の感性に満ち、それをあえて見せつけているように思えました。

     アラン・ギロディ監督は2001年の第54回カンヌ国際映画祭「監督週間」に選出された中編第2作目がゴダールからカンヌの最高作と評価されたといい、今作もフランスのカイエ・デュ・シネマ誌ベストテン第1位なんだそうですね。
     でも、どう言ったらいいんでしょう、なかなか難しい作品で、レビューも書きにくいんじゃないでしょうか。
     思ったのは、ゴダールの「勝手にしやがれ」にしても、当時の映画の概念を打ち破る演出や技法で作られ、その後の映画界に大きな影響を与えたわけで、その意味では、このギロディ作品もテクニックはともかく、映像表現やセリフ、演出には不思議さや不気味さやエロティシズム、お笑いなど、またテーマ的には性やセックス、また宗教や神父、告解など織り込みながら微に入り際に入りこだわっていて、フランス的には衝撃的な作品なんじゃないでしょうか。

     物語は、かつて働いていたパン屋の店主の葬儀に参列するため帰郷するジェレミーが主人公。未亡人となったマルティーヌの勧めで家に一泊だけする予定が長引いていきます。そんな中近くの森で事件が起きるのですが。
     個人的には主人公にも誰にも共感できなかったのですが、晩秋が近づいてくる森のシーンは印象的です。きのこも象徴的ですし。

     それらはあくまでも徹底的にフランス人気質、フランス人感性からくるもで、世界中の万人向けか普遍的なものかどうかはギロディ監督は計算していないように思えます。あくまでもフランス人的な感性を取り込み、映像化し観客に見せつけること。
     もちろん映画ですから世界中の人びとが観るものでしょう。しかし監督はそれよりもフランス人である自分の感受性を大事にしているんでしょうね。映画監督として当たり前のことですが。