1982年。早見夕子は9歳、グルノーブルオリンピックで知り合ったフィギュアスヶートの選手・令子とアイスホッケーの選手だった二郎の間に生まれたが、二人は五年前に別れ今はスケートセンターでコーチをしている令子と二人で暮らしていた。二郎はアイスホッケーの極東製紙チームの監督をしており、夕子はそんな父の写真をロケットに入れて大切にしていた。夕子をスケートの世界に誘ったのも、父への思いだったかもしれない。ある日突然、夕子にスケート映画の主役の話がきた。若手映画監督の木谷大介の話によれば、ひとりの少女が5年という時間の流れの中でどのように子供から女へ変貌していくのかをテーマにした映画を撮りたいということだった。つまりその映画の最大のヤマ場は五年後のフローズンカップ・スケート大会になるという。その日から、令子のコーチで夕子の特訓が始まった。快調に撮影が進む一方で、令子は徐々に木谷の情熱にひかれていった。1983年。木谷と令子の幸せな日日が続いている。が、一方、夕子のスケートは一向に上達しなかった。焦った木谷はカメラマンの川井に向かって、「降りてくれたっていいんだぜ」と言ってしまったためにスタッフは硬化し、スポンサーとも喧嘩、孤立してしまう。そんな木谷を助けるために、令子は二郎が残していった夕子の養育費まで手をつけてしまう。1984年。令子の用意した費用で、細々と撮影を続けていたある日、木谷は酒場で師匠である伊村と女優の秋山冬美らと会った。冬美は木谷が初監督した「氷のうさぎ」の主演女優で、かつて木谷と同棲したこともあった。木谷は大荒れに荒れ、伊村にかみついた。1985年。夕子の滑りは遅々として進まず、撮影隊の足は遠のいた。そんなある日、木谷たちの撮影隊が自分以外の少女のスケートを撮影している光景を見てしまう。少女の滑りは夕子のそれよりも見事だった。夕子は母の友達でゲイのタツヤに真相を確かめてもらうことにした。一方、令子は久しぶりに木谷の家に向かうが、木谷と冬美が仲良く肩を組んで歩いているのを見てしまう。令子は、何としてもフローズンカップ大会では夕子を撮影してもらうよう、タツヤを通じて木谷に頼んだ。1986年。いよいよフローズンカップ大会の日が来た。「剣の舞」に合わせて快調に滑り出した夕子だったが、二度のジャンプに失敗、フェンスに激突してタンカで運ばれた。いつか見た少女を主役にした木谷の映画製作が発表され、数日が過ぎた。令子はアイスショーの仕事で北海道に行ったが、その日は偶然にもアイスホッケーの釧路の北日本と、極東の試合の日だった。北日本の監督は二郎だ。極東のコーチだった二郎が三年前に更迭され、倉庫番をやっていたところを北日本に引き抜かれたことを令子は知っていた。令子は試合会場へ飛び込んだ。途中、勝利を知った令子は19年ぶりに二郎と再会した。「おめでとう」と令子。微笑みかえす二郎。どこからともなく懐かしい思い出の曲「白い恋人たち」が流れていた。