明治三十六年二月、飛騨から野麦峠を越えて信州諏訪へ向かう百名以上もの少女達の集団があった。毎年、飛騨の寒村の少女達はわずかな契約金で製糸工場(キカヤ)へ赴く。河合村のみね、はな、きく、ときも新工として山安足立組で働くことになっていた。途中、ゆきという父無し子の無口な少女も一行に加わった。明治日本の富国強兵のための外貨獲得はこのような工女のか細い手に委ねられていた。三年後みねは一人前の工女になっていた。取り出す糸は細く一定で光沢がなければ輸出用にはならず、毎日の検査で外国向けにならない糸を出したものは、みんなの前で検番から罵倒され、一定基準に合格しない場合は当人の給金から罰金が差引かれた。ときとはなは劣等組、みねとゆきは、社長の藤吉から一目おかれるほどの優等工女で、跡取り息子の春夫もそんな二人に関心を抱いていた。大日本蚕糸会の総裁伏見宮殿下一行が足立組を訪れた日、劣等工女のときが自殺した。やがて正月がやってくると、各工女達は、一年間の給金を懐に家に帰るが、ゆきには帰る家がなかった。ひとりぼっちの正月の寂しさと、みねをライバル意識していたことから、ゆきは春夫に身をまかせるのだった。ある日、金庫の金が紛失し、帳付けの新吉は藤吉に嫌疑をかけられる。新吉を慕うきくは見番頭に相談するが、小屋に連れ込まれて手籠めにされ自暴自棄になった彼女は小屋に火をつけ、新吉とともに天竜川に身を沈めてしまった。旧盆で工場が休みになると、工女達は束の間の解放感に浸り、いくつかのロマンスが生まれる。はなは検番代理にまで昇格した工女達の唯一の理解者、音松とこの夜結ばれた。ゆきは春夫の子を宿していたが、春夫には許婚がおり、彼女は妾になるのを嫌い、春夫から去って、一人子供を育てようと野麦峠を彷徨っているうち流産してしまう。四十一年アメリカに不況が訪れ、生糸の輸出はとまってしまうし倒産から逃れるには国内向けの生糸を多く生産しなければならず、労働条件は日ましに悪化した。そんな中、みねは結核で倒れた。病気の工女は使いものにならず藤吉はみねを家族に引き取らせるのだった。知らせを受けた兄の辰次郎は夜を徹してキカヤに駆けつけた。物置小屋に放り出されて衰弱しきったみねを背負って、辰次郎は故郷に向かった。秋、野麦峠は燃えるような美しい紅葉でおおわれていた。みねの前で、涙でかすむ故郷が広がっていた。「兄さ、飛騨が見える」それがみねの最後の言葉だった。みねは永遠の眠りに入っていくのだった……。美しい飛騨は何も語らず、みねを見つめていた。