「頂くわ、お弁当」「口をきいたな、あんた」二人が初めて言葉を交わしたのは、そんなやりとりだった。日本海を左手に北上する長い旅の列車で、若い男が前の座席の年上の女にあれこれ喋りかけたあげく、口を開かせたのは、男が駅弁を進めたのがきっかけだった。図々しいが奇妙に憎めぬところもあるこの男は、列車が終着駅に着くと、女を付け回した。その間、問わず語りに、自分も私生児だったと淋しい生い立ちを話したりした。無表情でどこか翳のある女も得体が知れなかった。街外れで墓参した後、村井晋吉という男を訪ねて素っ気無く追い帰されると、がっかりした様子で、ついてきた男に、松宮螢子と名乗り、三十一歳になると、初めて身の上らしきものを語った。二人の間にほのかな親近感が生まれた。男は螢子に、明日、旅館で会ってくれと強引に約束させた。しかし、その時刻に男は現われなかった。待ちぼうけをくわされた螢子が、ゆきずりの男の言葉を信じた自分の愚かさを恥じ、上り列車に乗った時、息をはずませて男が飛び乗ってきた。男の真剣さに螢子は初めて赤裸々な自分を告白した。受刑囚で、母の墓参に仮出所させて貰った身であり、明朝八時までに刑務所へ帰らねばならないこと。終始、螢子つきそっている女は看視官島本房江だということ。そして、村井晋吉は同じ女囚の夫で、頼まれて手紙を届けたが、女のできた晋吉の余りの冷たさに改めて男に対する不信感を募らせたことなどを話した。隣り合わせに座った二人は房江の目を盗んで、男のコートの下で手を握り合ったりした。夜になり、螢子は男のコートの裾に点々と着いた血痕らしいものを見つけいまわしい過去を思い出していた。夫を刺し殺した時の感触、公判、刑務所の味気のない生活……。車中の長い夜、二人は異常に感情を高ぶらせた。殊に螢子は前日、晋吉と女の情事を垣間見たこともあって、その顔は上気した。そんな折、列車が土砂崩れにあって停車した。慌てる房江を尻目に、二人は示し合わせたように線路脇に飛びおり、言葉もなく抱き合った。螢子の閉されていた欲情がせきを切り、男も激情に溺れた。やがて列車は動き始め、夜明けには刑務所のある街に着いた。別れの時がやってきたのだ。男は別れ際中原朗と名のった。--それから二年後、刑期を終えた螢子は約束した公園で中原を待っていた。だが中原は、二年前、刑務所前で螢子と別れた瞬間、尾行していた刑事の手で、傷害現金強奪犯として逮捕されていたのだ。そんな事情を知らない螢子は「きっとあの人は来てくれる」と信じて待ち続けるのだった。