昭和二十年八月。特攻隊員日の本太郎は、玉音放送を天皇の激励の言葉と、勘違いした隊長大和の命令で、敵機動部隊目がけて出撃した。恋人日見子らに見送られて死地に赴いた太郎は、しかし厚木飛行場に降り立ったマッカーサーの後から、その姿を現わしたのである。彼は日本を裏切っていたのだった。大和が終戦後、ヤミ屋の隊長になっているのを知った太郎は、早速GIを煽動してその物資を横取りした。昭和二十五年六月、朝鮮戦争が勃発。太郎は金へンブームに乗ろうと、東京中のパチンコ玉を掻き集めようと画策し、パチンコ店の二大勢力江戸組と武蔵野組を対決させて、その間にパチンコ玉をごっそりひとり占めにした。しかし、その時は戦争が終結し、太郎の苦心も水の泡だった。昭和三十二年。太郎はニセ傷夷軍人になって稼ぎまくるうちに日見子に再会した。そして彼女の経営するバーの支配人になった。ところがバーの立ち退き要求で争った相手が建設会社の社長大和だった。太郎はバー女子連合会を結成し、果敢に大和建設に抵抗した。昭和三十五年。新安保条約反対で、世論が沸く時、太郎もまたデモ隊と共に国会を取り巻いていた。だが機動隊の前に、あえなく留置場入りとなり、出所してみればバーはあとかたもなく、大和の勝ちほこった姿があるばかりだった。反撃を企てた太郎は、オリンピック道路予定地三十六ヵ所をタダで手に入れ、三億六千万で大和に売りつけることに成功した。そして昭和元禄と呼ばれるころ、タワシから飛行機まで売るというオールセールス社を設立した太郎は落ちぶれた大和を国会議員に当選させ、その軍師となったのだ。一九七〇年、日本は大和の裏切りによって再軍備を決定した。そのころはすべてを売りつくした太郎がついに、日本列島を核つきで売りに出していた。