源頼家は父頼朝の死後二代将軍となったが、母尼御台政子の父、執権北条時政とその子義時が権力を恣にしていた。頼家は比企能員の娘若狭局との間に三児をもうけ幸福に見えたが、醜い権力争いに心を痛めていた。伊豆の片田舎修禅寺の里には、面作りの名人夜叉王が二人の娘と共に住んでいた。桂は気位が高く、高貴の人の側女となることを望み、楓は父の唯一の弟子春彦を慕っていた。夜叉王は時政の命でその面を彫ったが、その面は頼家の放った流れ矢に当って割れて了った。能員はその面に事寄せて時政を戒め、時政の部下に斬殺された。その秋時政は頼家を修禅寺に追いやり、同行した若狭局は積る気苦労からか急死した。ある日若狭局の墓へ詣でた頼家は、彼女に生き写しの桂と出会った。亡き若狭局の面影を求める頼家と、空虚な栄達を夢見る桂とは互にひかれ合ったが、将軍職を捨てても自由を求めようとする頼家の心は桂には通じなかった。その頃、時政は頼家の弟を実朝と名乗らせ三代将軍に立てようとしていた。頼家は面を打てと夜叉王に命じたが、幾度打ち直しても頼家の面から死相が消えない。性急な頼家はその面を持ち帰り、夜叉王は心に染まぬ作品を後世に遺すことを悔んだ。桂は晴れて頼家の許へ召されたが、その夜、時政の命を受けた暗殺の兵に襲われた。夜叉王の打った面に現れた死相は名工の霊感が生んだのであった。死形の面は嘆きに沈む政子に献上された。その帰途、夜叉王と楓、春彦は町を行く厳かな行列を見た。三代将軍実朝の晴れの姿だった。