瀬戸内海に近い三原村で小金を貯めこんでいるという噂のある仁科老夫婦が惨殺され、その翌朝、皆川、矢口両刑事は笠岡市の遊廓から小島武志を検挙した。ジャンパーの血痕、指先の血糊--動かぬ証拠をつきつけられた小島は流石に色を失っていた。だが捜査本部では単独犯では片づけられない種々の事情から判断して、小島の口から共犯の事実を吐かせようと躍起になった。そして小島と同じ土工仲間の植村、青木、宮崎、清水の四人が浮び上った。連日の厳しい訊問に心身共に疲れ果てた小島は、夢遊病者のように四人も共犯だと自白させられた。緊急手配によって四人は次々に挙げられ、植村の内妻カネ子も取調べを受けた。一年後の秋、食堂の給仕女として働くカネ子は、そこではからずもこの事件を担当する近藤、山本両弁護士に逢い、植村の証しを立ててくれるようにと懇願し、差入れのために乏しい給料の中から数枚の紙幣を渡すのだった。結審の日、多数犯を強調する鋭い検事の最終弁論を、訥々と反発する近藤弁護人の額には、脂汗が滲んでいた。彼は小島の遊興費欲しさの単独犯だと主張するのである。その主張は理路整然とし、今や小島の単独犯は動かすことのできない事実であるかに思われた。しかし、判決の日、小島のでたらめな陳述と西垣巡査の保身の証言のため、弁護人の努力、家族たちの嘆きをよそに、植村は死刑、小島は無期、青木は十五年、清水と宮崎は十二年の懲役が宣告された。複雑な気持で食事に出かける近藤弁護士は、最高裁判で闘う決意を固めていた。拘置所の面会室では、植村と母が顔を見合わせていた。黙って走り去る母の背後に絶叫した。お母さん、まだ最高裁判があるんだ」と。