坪内逍遥とその愛弟子島村抱月は当時早稲田文学の誇りとして学生間に尊敬されていた。ことに抱月の講義はいつも学生達の待望の眼に迎えられ、また感激の拍手に送られた。そのころ、逍遥を中心とした演劇研究所ではやがて落成する試演場舞台開きの演物について検討されていたが、逍遥は抱月の「人形の家」を推薦した。しかし抱月はノラの適役が所員にいないというので心決まらず「一考する」とて帰宅した。その途中、抱月は所員松井須磨子の夫婦喧嘩に出会った。聞けば成程須磨子の主張は正しいものだ。抱月は彼女の身上を聞いて思わず手を打った。これだ、ノラの役を演るのは松井須磨子をおいて他にない。彼女にとっては「人形の家」は芝居ではない。今夫と別れた彼女自身が既に本当のノラである。彼女こそノラを地で行く女優だ「人形の家」をやろう。抱月の心は決まった。翌日から舞台けい古も始まり準備は順調に進んだ。しかし外では一流の人物である抱月も家へ帰れば養子の身だった。豊かな島村家では妻いち子の権力がどれほど大きいものだったか。彼の進歩的な思想は家庭では適用しなかった。彼の自由は常に家風の力に打ちひしがれたのだ。彼は養子という宿命的な弱味にあえぐチッポケな人間だった。試演会の日松井須磨子の熱演で「人形の家」は好評を博した。感激して抱き合う抱月と須磨子、二人の間には互いに尊敬する慕情が本能的に取り交わされた。須磨子はノラの気持ちを理解する抱月を慕い、抱月は自由に生き得る力強い人間須磨子を慕うのだった。島村抱月の恋、これは研究所、学校、逍遥に大きな反響をあたえた。もちろん抱月の家でも大騒ぎだった。しかし抱月は自分こそ「人形の家」のノラだったことを悟り、家も妻子も学校も捨てて自由に生きる決心をした。彼は早速松井須磨と共に芸術座を組織し旅公演に出かけた。学生達は師を奪われたとて須磨子を攻撃し、世間に騒ぎ立て芸術座の巡業は一層難路にあえいだ。悲喜交々の大星霜は矢の如く過ぎ、芸術座は再び東京へ出た。好評又好評、連日大入りの盛況である。だが運命は皮肉、その頃抱月は一寸した風邪で急逝してしまった。哀れなのは須磨子であった「これから先、この多感な須磨子は抱月なくして生きて行けるだろうか」座員の心配に違わず、抱月の命日に須磨子も自殺し、黄泉の国へ連れ立ってしまった。