昭和が終わりを告げようとしていた頃。明和建設の専務・壬生孝之助は、20年ぶりに堀川多江の姿をあるホテルのパーティ会場に認めた。多江とはかつて一度だけ会社の会長の葬式で会っただけの間柄だったが、彼は彼女のことをずっと忘れないでいたのだ。この運命的な出逢いを機に、壬生は彼女の家を頻繁に訪問したり、彼女を食事に誘ったりと積極的な行動に出るようになる。一方、夫を亡くし生け花教室を開いてひとり慎ましく鎌倉に暮らしていた多江も、初めは戸惑いを隠せなかったが、一途な壬生の性分に好感を抱くようになっていた。だが、どんなに逢瀬を重ねても、ふたりの関係は口づけを越えることはなかった。ある日、多江と壬生は秋の京都を訪れる。多江の愛読する『名月記』の作者・藤原定家縁の常寂寺裏にある時雨亭跡を散策し、飛鳥の丘陵から吉野の山々を眺めながらここに庵を建てようと約束を交わすふたり。しかしそれから数日後、壬生が心臓発作で倒れ入院した。知らせを聞いた多江は急いで見舞いに駆けつけるが、そこで彼女は壬生の妻・佳子と会ってしまう。世間的には不倫と呼ばれて仕方のないふたりの関係。そのことを思い知った多江は身を引くことを決意すると、かねてから生け花の師匠に誘われていた京都行きを承諾するのだった。ところが、壬生はそんな多江の想いとは裏腹に、ふたりで京都に住もうと言い出す。時代は平成へと移り、スペイン出張から帰国した壬生は遂に佳子に別れを告げる。「今までは仕事中心に自分を殺して生きてきた。これからは自分の心の思うままに生きたい」と言って。多江を京都に追った壬生は、生け花の発表会の準備に忙しい多江と時雨亭跡で待ち合わせる。師匠の止めるのも聞かず、壬生の元に走る多江。だが、そこには心臓を押さえ苦しそうにしている壬生の姿があった。壬生が心不全で他界したのは、それから間もなくのことだった。葬儀も終わったある日、京都への引っ越しの準備をしている多江の元へ佳子がやって来る。彼女は、多江に思いの丈をぶつけた。そんな彼女に黙って耐え忍ぶしかない多江。だが数日後、壬生の無二の親友・庄田が、壬生が書き残していた庵の設計図を持って来てくれた時には、溢れ出る涙を抑えることは出来なかった。春。多江は、壬生との想い出の京都の地をひとり訪れた。