神奈川県横浜市の生まれ。演劇研究所などを経て、東京アクターズスタジオの第一期生となったのをきっかけに芸能界入り。同スタジオの同期には西島秀俊らがいた。1988年の小原宏裕監督「ソウル・ミュージック/ラバーズ・オンリー」に、本名の“田沢奈江”名義で端役出演。その後、作家の五木寛之に命名された“裕木奈江”に芸名を改め、佐藤闘介監督「曖・昧・Me」90で主演に抜擢される。思春期に揺れる女子高生・薫子の心情を繊細に表現して注目を集めたのち、テレビCMや歌手デビューも果たして知名度がアップ。92年、倉本聰脚本のフジテレビ『北の国から'92・巣立ち』に吉岡秀隆演じる純の恋人・タマコ役で出演し、同局『ウーマンドリーム』では連ドラ初主演も果たす。翌93年には山田洋次監督「学校」で夜間中学に通う不良少女・みどりを好演し、ゴールデンアロー賞最優秀新人賞を受賞するなど順調にキャリアを重ねる。ところが、同年の日本テレビ『ポケベルが鳴らなくて』で躓きが訪れる。緒形拳扮する会社員・水谷を翻弄する女性・育未を演じた裕木は、あまりにも見事な小悪魔ぶりが本人のキャラクターと混同され、制作側と所属事務所のトラブルなどもあったため、“女性に嫌われる女性No.1”として激しいバッシングを受けてしまう。以降、活躍の場が激減した雌伏の90年代後半を経て、2000年には久しぶりの主演映画「おしまいの日。」が公開。翌01年には連合赤軍事件をモチーフにした高橋伴明監督「光の雨」で、永田洋子をモデルにした学生運動闘士役を熱演する。その後、文化庁の研修生として1年間のギリシア留学ののち、ハリウッドへ移住。日本人兵士を待つ妻・花子を演じたクリント・イーストウッド監督「硫黄島からの手紙」06、デヴィッド・リンチ監督「インランド・エンパイア」07など、海外作品を中心に活躍している。