【ヒットメーカーの座に安住せず走り続ける逸材】京都府舞鶴市の生まれ。立教大学在学中より自主映画活動を始め、1982年の「優しい娘」が、PFFに準入選、83年の「ファララ」で入選を果たす。大学卒業後、高橋洋らと同人誌『映画王』を発刊し、映画評論などを執筆。その取材を機に知り合った大和屋竺のもとで脚本を学び、91年に脚本家として独立。山口貴義監督の「恋のたそがれ」(93)、「ヤマトナデシコ」(96)では撮影・照明を手がけ、96年にOV『露出狂の女』を監督して、一部から注目されていた。99年、劇場映画デビュー作となる「月光の囁き」が、ゆうばり国際冒険ファンタスティック映画祭の審査員特別賞と南俊子賞をW受賞。同年公開の「どこまでもいこう」もナント三大陸映画祭審査員特別賞を獲得し、期待の新鋭として一躍脚光を浴びる。デジタルビデオ作品『ラブシネマ』シリーズ第5弾「ギプス」(00)に続き、テレビドラマ『あした吹く風』(01)でATP賞の優秀作品賞ならびに総理大臣特別賞を受賞。2002年の「害虫」ではナント三大陸映画祭のコンペティション部門審査員特別賞、宮崎あおいに主演女優賞をもたらした。そして03年、初のメジャー作品「黄泉がえり」を手がける。愛する人の祈りにより死者が3週間だけよみがえるという内容にちなみ、当初は3週間限定の上映予定だったが、泣けるファンタジーとの評判でロングランとなり、興収30億円を超える大ヒットを記録する。05年、地下鉄サリン事件の衝撃にインスパイアされた力作「カナリア」を発表。同年、「黄泉がえり」に続く梶尾真治の原作を映画化した「この胸いっぱいの愛を」も公開され、07年には手塚治虫の人気漫画を映画化したアクション大作「どろろ」でスマッシュヒットを飛ばして、予算の大小に関わらず結果を出す手腕を発揮した。【一貫して流れるリアルな人間観】黒沢清、万田邦敏、青山真治ら、数多くの映画人を輩出し“立教ヌーヴェルヴァーグ”とも呼ばれた立教大学の制作集団“パロディアス・ユニティ”の出身であるが、同人作家に比べ、塩田が描く人物像は、よりリアルで生々しい。傍目にはいびつでも絶ち難い絆で結ばれた「月光の囁き」のカップルに象徴されるように、複雑な“さが”を内包した登場人物は、絶望を見据えた末に祈りにも似た希望へと到達する。そんな塩田の人間観は、子供にしか見えない風景が鮮やかに切り取られた「どこまでもいこう」をはじめ、子供を一個人として捉えるフェアな眼差しにも顕著であり、親から見離されても、たくましく生き抜く子供たちが度々登場することも、それを裏付ける。壮絶な旅の先に光を見出す「カナリア」の少年少女や、家族や友人、恋人さえも捨てて、不透明な未来を自らの意志で選ぶ「害虫」の女子中学生、父親にバラバラにされた身体をかき集める過程で、失われた笑顔を取り戻す「どろろ」の百鬼丸も、親の庇護を拒絶し、混沌とした社会へと漕ぎ出していく。「黄泉がえり」以降はヒットメーカーとしての顔も加わり、大作監督との二面化に進むか、その動向が注目されている。