「ミュージカルを観るときは最後から2番目の曲が終わったところで劇場を出るの。そうすれば永遠に終わらないでしょう?」
1964年アメリカ。チェコ移民セルマ(演:ビョーク)は息子ジーンと2人でトレーラーハウス暮らしをしている。彼女の家系には先天性の眼の病気があり、彼女も失明寸前で、いずれはジーンに遺伝するであろう病気のためにわずかな工賃から治療費を貯金していた。だが眼のせいで雇い先の工場はクビになり、折しも借金を抱えていた大家ビル(演:デヴィッド・モース)が持ち逃げした治療費を取り返そうとした際にビルを殺害してしまう...。
本音を言うと、あまり感情移入出来なかった。僕は独身主義者であり、子供も持とうと思っていない。ポンコツなスペックしかくれてやれないし、せめて明るい未来が見通せるならとも思ったがそれも叶いそうにない。であれば自分のエゴで子供をもうけることなど子供からすれば罰ゲームでしかない。そう思うから関心がないのだ。セルマは僕とは真逆だ。眼の病気が遺伝することをわかっていても、赤ん坊を自分の腕で抱きたかったからジーンを産んだ。それを批判はしないが、ならば最後までセルマには全うして欲しかったと強く思う。セルマの選択は、確かに最後から2番目の音楽で止めたことになるかもしれない。だが同時にそれはジーンにとっては、「残りの長い人生をエンドロールで過ごせよ」と言っているようにしか思えない。加えて、親友キャシー(演:カトリーヌ・ドヌーヴ)ら周囲の人々の想いすら台無しにしてしまったようにも感じる。つまり、立つ鳥跡を濁しっぱなしに映ったのだ。
他に選択肢がいくらでもあったために残念でならない。間違いなく、もっと他の終わり方があったはずである。