脱力だけではない荻上監督の新境地を見た。
ネタバレ
川っぺりムコリッタ
例によって、何らの予備知識を入れずに見始めると、主演の松山ケンイチを始め、豪華なキャストが揃っていて、これは名のある監督によるものではないかと思っていた。案の上、原作・脚本・監督は、あの「かもめ食堂」の荻上直子だった。しかし、今回の作品は彼女らしい脱力系の部分はあるものの、生きていく孤独、生きていくことの意味を問うようなダークサイドにも焦点を当てているところが、従来作品と異なっている。
ドラマは刑務所を出所した山田(松山ケンイチ)が流れ着いたような北陸の川辺にある古いアパートの住民との関わり合いが中心となっている。その貧しき住民たちは、まるで山本周五郎の「季節のない街」(黒澤明の「どですかでん」の原作)のような印象を受ける(特に、吉岡秀隆演じる息子と2人で墓石の訪問販売をする男)。そのアパートでの暮らしの描写の中では、「食」の描写が的確であり、特に、ご飯が炊きあがる瞬間を待ちきれない山田、そして、盛られたご飯の美味しそうなのは格別で、これが生活、生きることの描写に実感を与えている。幼い頃に、父と別れ、母にも棄てられ、犯罪にまで手を染めてしまった山田の絶望に近い心を少しずつ癒していくのは、周囲の人間の優しさである。一風変わった人たちの中で、特に無縁仏の世話を担当する役人(柄本拓)の仕事を飛び越えたような故人とその家族に寄り添う優しさが心に染みる。また、山田の隣人の島田は、勝手に風呂に入りに来て、ご飯まで食べるというとんでもない図々しい男で、演じたムロツヨシのいつものパターンと思いきや、背負った思い過去の存在も感じさせ、彼の新境地を切り開けた気がする。加えて、一見偽善者のようにみえる工場の社長(緒形直人)も、心から山田の事を考えているというのも心休まるのだ。
これら住民のキャラと荻上監督らしい「翔んだ」ファンタジックな描写の効果により、このアパートの原始共産制みたいな居心地の良さが伝わってくる。薬師丸ひろ子を電話の声だけ、江口のりこをマスクで誰かわからないような贅沢な使い方を平気でやってしまうところに、この作品の世界に繋がる損得だけでは推し量れない荻上監督のいい姿勢を感じる。ただ、あまりの作品の心地よさに、イカの塩辛の製造工程の描写については、実際に従事する人にとってはあまり心地よくないかなって余計なことを考えてしまった。