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「ハクソー・リッジ」の前田高地以外にも、数多ある太平洋戦争中の沖縄に描かれた地獄絵図を捕捉していく。試みも、メッセージも、資料としても意義深く、見るべき作品であることに間違いはない。しかし、戦争体験者の証言が録音の問題か聞き取りづらい上、みなさん長尺なので根気が必要。貴重な体験談をより多くの人に伝えるための、編集やテロップでの工夫がほしかった。そのテロップの解像度が低く、「語り」は感情移入が過剰。トータルで、言葉周りの処理に改善の余地あり。
フィリピンと日本、どちらの国籍もないままフィリピンにひっそりと暮らす人を探し出し、インタビューでそのルーツをたどるシーンから始まる本作。ミステリーのような要素で観客の興味を引き、残留邦人の問題を中国へと広げ、無策なまま問題の「消滅」を待つ日本政府への痛烈な批判に帰結する構成の妙。残留邦人の国籍回復に尽力する人々だけでなく、独自取材映像にこだわる制作陣の本気にも敬服する。そして、現在進行形で「棄民」を作り出す現政権下での生き方を考えさせられる。
この映画の敗因は、バブル時代を舞台にした作者の自伝的ストーリーを、現代にうまく置き換えられなかったことにある。映画の設定は二〇一〇年から二〇一七年。アップデートされているのはSNSなどのコミュニケーションツールだけで、描かれる価値観は前時代的で表層的。主人公の大学時代のファッションや(特に)ヘアメイクが原作の造形に引きずられており、違和感が凄まじい。演者に大げさな表情や発声をさせて、瞬きに効果音を付けるなどの演出もアップデートが必要だ。
「おいしい家族」では監督の熱い想いが空回りしてしまっていたが、今回は他者が脚本化した自身の原作を監督したことで、伝えたいことの対象化に成功している。正直、たった一作でこんなにも成長できることに驚かされた。空気が動く一目惚れの瞬間、給水塔を見上げるショット、夜中のショッピングモールなど、青春映画で使い古された記号をギリギリのところでダサ可愛く仕上げていて好感。切ない矢印を向け合うアンサンブルを奏でていた、メインの若手俳優は全員満点。
沖縄戦の悲惨、残虐はアウシュヴィッツに匹敵すると思われる。島崎藤村が校閲した『戦陣訓』、その「生きて虜囚の辱めを受けず」のせいで、どれだけの人々が集団自決で死んでいったのだろう。軍部が通告した「一億玉砕」? 国民が全部玉砕したら、もう国ではない。倒錯しているとしか思えない。『戦陣訓』を声高に叫んでいた東條英機は、自決に失敗し、生きて辱めを受け、死刑を前に差し出されたワインを二杯飲んだという。人身御供にされた沖縄に改めて哀悼を!!
「日本人は世界で唯一の単一民族である」などと主張して、声高に他国人を蔑視している人たちが令和のこの日本にまだいるらしい。中国残留孤児は中国に置き去りにはしたが日本の父と母から生まれたから日本人だが、フィリピン残留孤児は日本の父とフィリピンの母から生まれた混血だから日本人ではないと言いたいらしい。待遇に著しい格差がある。国民を守らずして何の国家なのか。この恥ずかしさを日本は世界にさらけ出しているのだ。ああ、やるせない。
かつて『白鳥麗子でございます!』等で一世風靡した鈴木由美子が原作。二十年以上前のバブル期の漫画を現代に設定し直している。そう言えば、映画はあの頃の空気感が匂っている。バカオンナと題されているが、女性たちはバカではない。派手目で押し出しは強いが、むしろ真面目。大酒飲んで泥酔し、気付かぬうちに処女を失くしたりするが、その男と地道に愛を育み、女同士の友情もきっちりキープ。バカと見えるが、バランスよく賢く生きている。嫌味がなく、気持ちがいい。
「世界」とか「奇跡」とかがつく題名には眉に唾をつけたくなるが、これは違う。失礼なのを承知で言うと、前作と同じ人が撮ったとは思えない。原作は監督ご本人。その小説はすばる文学賞を獲得した。もやもやした苛立ちになんとか折り合いをつけようとしている大阪の高校生たちの姿がどんどん眩しくなってくる。脚本に向井康介氏を迎えたことが大きいと思いたい。が、ブルーハーツをモチーフにした向井氏の「リンダ リンダ リンダ」からさらに一歩踏み出している。
これもまた国家「棄民」のあり様を描く。本土決戦への時間稼ぎ、捨て石に過ぎない沖縄。民間人男性をすべて徴兵、女子供には皇民化教育で「日本人」アイデンティティを内面化させる(それが集団自決ならぬ「強制死」を生む)。要するに沖縄は国民全員が戦争する「総力戦」の典型、日本本土のもしかしたらありえた姿であったわけだ。沖縄がそういう存在であったことは既知の範囲であり驚きは正直ないのと、感傷的な語りと音楽、記録映像をイメージとして使う手法に疑問はある。
中国残留孤児は知っていたが、フィリピンについては不勉強で知らなかった。敗戦後孤児を救わず、帰国させる措置を取らず、帰ってきても生活支援せず、の三重の「棄民」への孤児たちの戦い。特にフィリピンでは日本人と分かると報復されるので証明書を焼き、国籍回復が困難。フィリピン政府は彼らを無国籍認定して日本政府に行動を促すが、日本政府はそれに応えようとせず、亡くなるのを待って問題消滅を図っている。弱い民などいつでも捨てる「美しい国」への「政策形成映画」。
理想と現実のギャップと葛藤の末、高い理想を求めるよりも、居心地よい現実を選択するという物語は普遍的とも言えるが、ヒロインら自身のギャップ(オシャレ意識高いのに家でジャージ、カップ焼きそば等)を誇張するようなコメディ処理で結局紋切り型に堕ちている。現在時にアップデートされているのでそれほど違和感はないものの、バブル期の原作コミックの映画化だけに、高学歴高収入イケメンと結婚するのが女の幸せという、根本をなすヒロインの価値観もいかにも古臭くて鼻白む。
高校生が父親を殺すという事件が冒頭であり、そこから高校生の群像劇が語りだされ、それぞれが何らかの屈託を抱え、感情のすれ違いで関係がこじれたりしているので、この中の誰が、がサスペンスとなる。廃講堂やショッピングモールの駐車場の階段、工場のタンクなど印象的な空間で繰り広げられる感情の劇は、深夜に忍び込んだショッピングモールで爆発する。しかしそれぞれの屈託が、深刻ぶる割にその内実が曖昧で真摯に見えず、いい気なものだな、くらいにしか思えない。