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アクションのアイデアの豊富さもさることながら、平均的ハリウッドアクションの5倍くらいの見せ場を時制を操りながらスピーディーに見せていく構成の巧みさに唸った。インド映画ならではの観客へのしつこいサービスも、本作の場合は観客を見くびっているからではなく、そのスピードについてこさせるための礼儀と受け止めた。もはや比べるべきは「M:I」シリーズや「007」シリーズとなるが、主人公が定まらないことによる仕掛けとサスペンスはスタンドアローン作品の強み。
「チャイニーズ・ゴースト・ストーリー」から32年。中国映画界を取り巻く環境(とそこに集まる資金のケタの数)はドラスティックに変わり、チン・シウトン監督自身も100%の中国資本で映画を撮るようになったわけだが、本作に流れているのは良くも悪くも香港時代から変わらないカンフー映画&アイドル映画の伝統の血だ。世界最大のマーケットに見合う中国発のエンターテインメント大作の新しい文体の確立と洗練は、次世代の監督やスタッフに課せられた役割となっていくのだろう。
序盤の海辺のシーンをはじめとするモノクロの美しいショットの数々、突然ミュージカルのように歌い出すシーンの喧しいエフェクト。主要なレファレンスがヌーヴェルヴァーグの諸作品にあることは疑いようがないが、それが上手くいってるところと調子っぱずれなところの落差も含め、抗しがたい魅力を湛えた一作。監督にとって切実な「ソビエト連邦時代のバンドシーン」という題材は、元“洋楽”先進国の恩恵をたっぷり受けてきた世代としてはナイーブ過ぎて共感を抱きようがないが。
『魔界探偵ゴーゴリ』シリーズがきっかけとなって、ロシア映画界でブームになっているというゴシックファンタジー。しかし、CGIのクオリティを云々する以前に、平場のシーンにおけるあまりにも人工的な照明、おざなりな劇伴(そもそも使用シーンが極端に少ない)、英国から呼ばれたデイジー・ヘッドの主役らしからぬ所在なさ、と映画としての筋の悪さが目立つ。きっと海外の人が『鋼の錬金術師』や『ジョジョの奇妙な冒険』の実写版を観たら、似たような気持ちになるのだろう。
ベストを尽くして、それまでの人生で失ったものを取り戻す、男たちの熱い戦いが描かれる。男が惚れる男、カビール少佐は、家族を。憧れの少佐抹殺の命を受けたハーリド大尉は、信頼を。151分の壮大な物語は、あらゆるエピソードを回収する(最初と最後のカビールのライティングまで、ドラマチックに繋がっている!)緻密な構成で成り立っているため、全く飽きない。インド映画に欠かせないダンスあり、飛行機、バイクにカーチェイスで盛り上げた後は素手でのアクション勝負。満足。
「チャイニーズ・ゴースト・ストーリー」(87)のレスリー・チャンを彷彿とさせる主人公・小凡を、甘いマスクのシャオ・ジャンが好演。最初から最後まで、3人の美女を相手に空を舞う優男ぶり(犬や猿にまでモテる!)を、いやみなく見せつける。チン・シウトン監督お得意のワイヤーワークを活かした空中アクションシーンは優雅で目にも楽しい。功力を奪い合うバトルは、やや説得力に欠けるが、七尾ムカデやかゆみ虫等の小ネタ効果は絶大。神獣・霊尊にはもう少し活躍してほしかった。
80年代前半、ロシアン・ロックスターの世代交代を鮮烈に描いた青春映画。冒頭の海辺で流れるズーパークの〈LETO〉とキノのエンドロール曲を聴き比べるだけでも新しい波を感じずにはいられない、洗練されたセットリストだ。愛する妻の、かわいい後輩ヴィクトルへの恋心を知り、家に帰れなくなった(三角関係的にはいちばん分の悪い)マイクが音楽仲間と新しい朝を迎えるシーンで流れるのがキノの〈My Mood〉とは憎い演出である。T・レックスやイギー・ポップらの選曲も面白い。
猟奇的連続殺人事件の捜査に当たる、ロストフ警部(エフゲニー・ツィガノフ)と相棒のガニン(ドミトリー・リセンコフ)の関係性が雑すぎて、肝心の謎解きに集中できない。簡単に銃をぶっ放すガニンのヤバさとは対照的に、危険な場所へ行く時でさえ、銃を携帯しようとしないロストフ警部。そんな警部がついに銃を構える時……そこから始まる仄明るい未来と、事件の真相を知った後の不穏な余韻、アンバランスなラストをどう受け止めれば良いのか。まさか悪魔に試されているのだろうか。
「M:I」「フェイス/オフ」など数多くのオマージュ満載! いくつ当てられるか?と解説に書かれていたが、もはや隠す気がないという潔さ。しかし、これが時間と金をかけまくった力技で本家と遜色なく、というか本家を超えているシーンもあり、オリジナリティって何だ、と考えてしまった。擬似ワンシーンワンカットをはじめ、アクション描写の映像的な完成度は高いのだが、それ故肉体的な面白さが半減しているのが残念。アクション映画は、その絶妙なさじ加減が難しい。
VFXとワイヤーアクションで構築される神話的世界観、登場人物たちが自分で投げた剣に飛び乗って移動するなど描写がいちいちマンガっぽく、どこを取っても既視感しかないが、クオリティを重視して突き抜けているので楽しめる。中盤までギャグ展開、終盤シリアスになるのもこのジャンルのお約束だが、最後に出てきたデルトロ作品のクリーチャーを彷彿させる異形の物たちの襲撃は、そこだけ映画のテイストが全く違う残酷描写でちょっと引くぐらい怖い。
80年代前半、後に伝説となる「キノ」のボーカル、ツォイと仲間の関係性を中心に、当時のソ連で“ロックをやる”ことのリアルを描き出す。全篇モノクロだが、劇中カメラで撮られた彼らの姿は、実際にそれぞれが見た風景かのようにカラーで映し出されたり、リアルなシーンに落書きを加えたような非現実的な描写、展開が挿入されるなど(必ず「これはフィクション」と注釈が入る実直さ)、彼らの内なる熱狂を巧みに表現。関係性の終わりと始まりが交差するラストシーンも秀逸。
19世紀末、美女ばかり狙った猟奇的な連続殺人事件、というと場所はロンドンと相場が決まっている(?)のだが、本作の舞台は、サンクトペテルブルク。その馬車が闊歩しゴシック、バロックなど多様な様式の建築物が混在した街並みは妖しさに満ち、事件の異常性も申し分なく、サイコ・サスペンスとしての期待が高まる。だが、どうにも展開に緊張感がない。「魔術」をサスペンスの骨子にすると、謎の仕掛けは作りやすいが醍醐味が失われかねない、ということを改めて実感。