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原作にもドラマにも接してこなかったので物語の前提となるトリッキーな設定にチューニングを合わせるのにしばらく時間を要したが、最終的にはかなり楽しめた。美点と欠点がはっきりとしている作品で、美点は、高橋一生と飯豊まりえが演じる主要キャラ2人の「作家と編集者」や「男と女」の定型に収まらない洒脱な関係性と軽妙な台詞の掛け合い。それと、美術や音楽にちゃんとお金をかけていること。欠点は、アート作品「風」のもったいつけた構図の多用と、散見される稚拙な編集。
3年前の本誌ベスト・テン個人賞で主演男優賞に宮沢氷魚、新人女優賞に小西桜子を選んだ自分は、当然大きな期待をして本作に臨んだのだが、キャラクターの造形に終始違和感が。高圧的な上司、薄っぺらい同棲相手と、ヒロインの周囲の男性を極端なほど類型的に描くことで、発達障碍の画家をその対比の中に閉じ込めている。これでは、自分で選んだはずの職業に適性がなく、自分で選んだはずの恋人に思いやりのかけらもないヒロインが、公私混同仕事で一発当てただけにしか見えない。
ありがちな地方都市の「町おこし」事業予算消化映画かと思って身構えたが、これは拾い物。若い世代の生まれ育った土地や家族への愛憎、地方の過疎化や外資流入の問題とも向き合った上で、ご都合主義ギリギリでフィクションとしての落としどころを見出している。YouTubeやソーシャルメディアでのコミュニケーションに対して斜に構えていないのもいい。地方に限らず、今どきの一般的な高校生は自分の世代の高校時代と比べて驚くほど素直で健気で真面目、という日常の実感とも合致。
穴澤氏がここまで辿ってきた病だけにとどまらないハードな人生の歩みと、それを感じさせない柔和な語り口には感じ入る点も多かったが、もちろんそれと映画としての評価は別。サブタイトルに「メッセージ」とあるが、自分が考える映画の役割に とりわけドキュメンタリー作品ならばなおさら 「メッセージ」は含まれない。揚げ足をとっているように思われるかもしれないが、作り手のそうした独りよがりな姿勢は、行き当たりばったりな構成、冗長なシークエンスなどに如実に表れる。
原作漫画もドラマも未見だったので大いに期待したのだが、まず目が行くのは露伴のナリフリ。特にあのヘアバンド。片耳だけの長いイヤリングもかなりギザ。ま、このあたりは好みの問題、とやかく言っても仕方がないが、露伴の特殊能力もさることながら、ルーヴル美術館まで巻き込んだ因縁話にはかなりぶっ飛ぶ。そういえば露伴は何度も、美術品のリアリティー、という言葉を口にするが、映画のリアリティーを超越した幻覚的ミステリとして、話のネタには格好の作品と言えるかも。
波長が合うのか、いつも誰かの波長に合わせているのか、あるいは彼女本来の波長が自閉症の画家と同じなのか。奇妙な振る舞いをする画家の取材に立ち会った彼女は、取材後にその画家が自閉症だと知るのだが、えーっ、事前のリサーチなし? 編集者になって3年目、なんてユルいの! がなぜか画家はそんな彼女に心を開き、彼女の方も画家に特別な感情を抱く。画家役の宮沢氷魚が「レインマン」のD・ホフマン張り!の演技をしているが、おままごとのような場面が続き、しかも甘過ぎる。
地元愛が高じてつい暴走してしまうドジでノリのいい高校男子3人組の騒動だが、その行動のあまりの幼稚さに鼻白む。女湯を覗くか? シャベル一つで埋蔵金を探すか! せめて中学生に設定すれば。おっと中学男子に失礼か。とはいえご当地映画定番の祭行事に頑固祖父、自転車に乗っての彼らの往来は定番なりに観ていて気持ちがいい。そして船が往き来する川沿いの町並み。町の過疎化に便乗した開発騒ぎが薄っぺらでこれも鼻白むが、品のいい祖母役・丘みつ子のエピソードは感動的。
ポジティブ思考で、かつサービス精神に富んだ通称“アナちゃん”。黒のサングラスにウェスタン調の衣裳も様になっていて、常に笑顔を絶やさず、カメラや相手の声に的確に顔を合わせて話をする。そんな穴澤雄介のワンマン・ドキュメンタリーで、演奏活動もさることながら、五感を使ってのさまざまな挑戦!も賑やかで楽しい。むろん彼がハンデを自分のキャラクターにして、いまの立ち位置を得るまでには、それなりの野心や計算もあったのだろうが、それらを含め、大した人物だ。
なぜメインのジョジョ実写版が続かないのか。そういえば露伴の冒険はルーヴルもグッチも割と小さい話だった、ならばもっと漫画のように狭いフレームに入れる画面がよくなかったか。こんな時代劇だった?など思案しつつ観るが、ミステリアスなネタを追う展開がきびきびしていて飽きはしない。パリの街とルーヴル美術館でのロケ撮影も効いている。ルーヴルとヴェルサイユ宮殿でロケした2015年の水谷豊主演作「王妃の館」に非常に近い映画、企画として同じ方向性のものだと思った。
観るうちに、登場する青年画家が描く絵に満ちる色彩と同様の、ブルークリスタルのごとくピュアでフラジャイルで、若干クルーエルなエモーションが全篇から立ち昇る。それはすなわち、裸の大将山下清にガチで恋したらどうなるのか、こうなる、という物語。アスペルガー画家の言動に惹かれ、癒やされながらも、結局は自分がそれとは異質の、日々自らを損耗、疲弊させている一般性のほうに属しているがために彼によって困惑させられ傷つくという、興味深い関係、構造が描かれていた。
地方の町おこし映画みたいなものは無数にあり、そこでは一種の祈りのように住民の呼び戻しや地域再興が語られるが、それは本当に可能か、と観ていていつも少し思ってしまう。映画に何ができる? この種の映画はあまりすごいことできるフリをしてはいけない。チャーミングで、面白くなければいけない。本作はその点、人物全員と土地に魅力があった。泉谷しげる演じる老人の死体を玩弄するギャグや、町の買収・再開発を目論んだキャラが最後撤退しつつも一席ぶつのとかが好ましい。
いちいち言及された事柄をフリー素材みたいなインサート映像で補強しないで。その無闇な親切は美学の放棄。いただけない。ただ、教則もの映像とかテレビ番組ふうドキュメンタリーも、主題や被写体の魅力があれば私は面白く観る。穴澤氏の佇まいと発想、人生哲学が面白い。穴澤氏と舞の海の対話でふたりがポジティブになるきっかけがそれぞれの身近にいた小児難病患者と同級生の死だったという話が出た。わかる。似た体験と感慨あり。死者の無念以前を生きる我々にいつも光はある。