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フランキー・コリオは今後のブレイクを予感させる存在感を放っているし、テレビに繋いだビデオテープの映像が切れた後の、何も映っていないテレビ画面に映り込む親子を捉え続ける長回しの固定ショットをはじめ、鏡やテラスの机など、さまざまな装置の反射を生かして限定された空間を多彩な角度から切り取る撮影は細かい工夫に満ちている。だが、miniDVやポラロイドといったレトロな機材が生み出す質感をお洒落なものとして強調する、いかにもA24好みのあざとさは鼻につく。
アクションそのものは悪くないしチャン・ヒョクの魅力を堪能できるファン映画としても手堅くまとまっていると言えるのだろうが、誰が見てもわかるレベルで「ジョン・ウィック」からアイデアを多数拝借しているように見える点には疑問が。予算の制限があるなかでも、元ネタにはない要素が多数盛り込まれた「ベイビーわるきゅーれ」のような優れた例もあるわけで、ヒット作の縮小再生産に陥らないよう、なんとか創意を加えようという気概が作品からほぼ感じられなかった点が残念。
当該作のリメイクというよりは、ファスビンダーのキャリア全体を踏まえつつ性別や職業をオゾンの当事者性に引きつけた改作といった趣。鏡を活用して画面が演劇的になることを防ぎつつ、本家の閉塞感よりもむしろ開放感を感じさせる撮影や、他作品への捻りの効いたオマージュなど、随所に批評性が感じられるのは確か。ただその反面、俳優陣を含めてファスビンダー映画への敬意が強すぎたのか、原作同様の感情のもつれをどう表現するかまで含め、全てが知的な操作に過ぎないようにも。
舞台や時代こそ監督の出自と密接に関わる形に改変されているものの、きわめて原作に忠実な翻案だ。モノクロ撮影とすることで映画の肝となる要素を際立たせる戦略は効果的で、不気味な音響もうまく雰囲気とマッチしている。また、死ぬ間際の人物や隕石の視点ショットの取り入れ方は、原作の魅力を映像的に再解釈する方法として興味深い。しかし、作家を強く愛するがゆえか、ラヴクラフト作品の映画化に向かない部分についても素直に再現しようとしている点は賛否が分かれるだろう。
今はもうないものが、しかし目の前にありありと現れてしまう。そしてそこに映っている人物に対して強い感情を引き起こしたりもするが、実際にその人物が何を考え、感じているかは簡単にはわからない。そういう映像が持つ特質を最大限に、あるいはその特質のみを生かして作られた実に映画らしい映画と言えそうだ。単に映っているだけでは感情も思いも映らないという点で酷な映画と見るか、簡単には言葉にできないさまざまな繊細で豊かな感情を表現していると見るかで評価は分かれる。
主人公の殺し屋は当然のようにべらぼうに強くて、悪い奴らは見事に腰抜けな下衆ばかりだが、ちょうどよく主人公の強さをお膳立てするくらいの少し強いやつもいる。警官は当然のように汚職警官だが、警察組織にまで蔓延る巨悪を告発する、というような大袈裟なことではなくて、適度に把握可能な範囲の裏の事情や金の流れ。唯一、主人公が過去に出会った少女関連のエピソードはどれほど本気に描こうとしているのか戸惑うが、概ねどれもが程よいところに収まっていて私は好き。
見るからに上手くいきそうにない有名な映画監督と若い俳優のカップルが、誰もが予想するような破綻の迎え方をする。映画監督も俳優も圧倒的にどうしようもない感じが、まさに映画業界の権威が著しく低下している現在にぴったり。人間的に「クズ」だが、常人にはないこの愚かさこそ、偉大な監督や俳優の素質なのだ、などという転倒した肯定ももちろんなく、ひたすら唾棄すべき人物として描かれているところは極めて現代的かもしれない。文字通り唾を吐かれるシーンは失笑を誘う。
決してゴージャスな作りではないが、端正なモノクロームの映像や適度に差し込まれる異様な構図のショットの数々は、怪しく不気味な作品世界の雰囲気を十分魅力的に見るものへ感じさせることに成功していると思う。というと、映像的な表現が主張しすぎているように思われるかもしれないが、それらは観客を物語へと誘うために奉仕している点も好ましい。しかし、とても良くできた映画であると感じる一方で、そのまとまりの良さに優等生的な小ささを感じてしまうのも事実。
鑑賞中、ずっと心がしくしくしていた。若き父と二人で過ごした、ひと夏の記憶。そこには、11歳の少女の多感で繊細なまなざしが捉える、二度と戻れぬ風景の輝きや非日常の昂揚、離れて暮らす父への愛着が凝縮されていて、妙に切なく心地よい。このまま終わらないでほしいと願いながら、誰もが最初から気づいてもいる。旅は、今という瞬間は、必ず終わると。多幸と不穏、永遠と刹那、甘さと痛み……複雑な感情がさざ波のように絶えず根底を流れ、無常を知った遠い日を連れてくる。
チャン・ヒョク×チェ・ジェフン。一人で斬って斬って斬りまくった「剣客」に続く第2弾は、舞台こそ現代に移ったが、血の繋がらない少女との関係含めやってることは前作とほぼ同じ! 企画から携わったチャン・ヒョクの“主体はアクション、物語は極力簡潔に”との言葉通り、理屈はさておき立ち回りという名の芸術を血飛沫もろとも一身に浴びてこそ、正解。共通項の多い「アジョシ」の台詞いじり(!?)他、チャ・テヒョンのカメオ出演、終幕のNG集など全篇に漲る洒落っ気も心憎い。
目に、耳に、毒々しくも鮮やかで美しく、時に滑稽にして物悲しい、これはもうオゾンにしか描けない、オゾンだけの「苦い涙」だ。ファスビンダー版との比較や旧作の講釈を脇に置いても、若き美青年に翻弄される巨漢の映画監督の揺れ動く心、表情、身のこなし、どこか「ベニスに死す」にも通じる芸術的破滅の道行きはそれ自体が単純に面白く、大いに心そそられる。人間とは、かくも愚かなり。それでも愛さずにおれないピーターを全身で魅せたドゥニ・メノーシェ、快なる哉。
近年ではニコラス・ケイジ主演作が記憶に新しい、幾度も映像化されてきたラヴクラフトの原作をモノクロをベースに懐かしい手触りで再現。『ウルトラQ』や『恐怖劇場アンバランス』あるいは「マタンゴ」など、あの時代に通じる匂いは心くすぐる。設定を変えているものの、ディテールは原作にかなり忠実。にも拘らず異世界に引き込む力が弱く、悲しいかな文字の力に及ばぬ印象。そこは視点を渦中の一家に移したケイジ版に軍配か。終盤、速足で語られる新解釈の捻りがより効いていたら。