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砂漠で少年と犬が喧嘩している。少年は女が欲しい。犬は食料が欲しい。激しい言い争い。結局犬に言い負かされる。「わかった。お前の言う通りにするよ」。近未来は犬とテレパシーで会話ができる。ヒロインの女の子が可愛くてセクシーでちょっとずるくてたまらん。ちゃんと裸もある。サービス満点だ。砂漠にも娯楽施設があって映画をやっている。裸の女の人がキャーキャー喚いている。ポルノ映画だろうか。犬はポップコーンが好き。やるよと言われて嬉しそうに食う犬がかわいい。
木材を削る工場で木くずだらけで働く女の人。家に帰っても一人。不倫相手の男は妻子持ち。子どもが欲しいと言ってみる。男は途端にビビり始める。女はいつも何かを耐えているような不思議な表情をしている。自分で思いついたことを曲げない。意固地だ。その寂しさがひしひしと伝わってくる。たまたま出会った若い女の子の世話を焼く。この子も不思議な表情としか言いようのない顔でずっといる。彼女は女の部屋で彼氏と戯れる。裸でお互いの体を貪る。若々しくて眩しいセックス。
血だらけの女の子が雪の上を裸足で歩く。何が起こったのか?導入はハッタリが効いてる。彼女は大食い。目の前に並んだ食事を見て目を輝かせる。口いっぱいに食べ物を頬張る。スーパーで試食の惣菜を次から次へ平らげる。いくつもの組織が入り乱れて彼女を追う。匿った姉と弟にも危機が迫る。彼女はめちゃくちゃ強い。あっという間に敵をやっつける。吹っ飛ぶ人間。吹っ飛ぶ車。みんな刺されても撃たれてもなかなか死なない。アクションに次ぐアクション。ずっと見ていられる。
スキンヘッドで怖そうな校長先生が哲学を教える。小学生たちは、彼の言うことをわかっているのかいないのか、のほほんと聞いている。授業中も休み時間もとにかく彼らは実に生き生きとしている。かつての教え子が死んだと言うニュース。やりきれない先生たちの顔。大人とは関係なく、子どもたちには子どもたちの世界があって、彼らは勝手気ままに振舞っている。怒られて拗ねてゴロゴロする。仲直りして照れて笑う。小学生の頃しかない子どもたちの表情をちゃんと撮っている。
かつてのSFは時を超えて、その設定のリアルさと滑稽さで観るものを驚かせる。粗野な青年と理性的な犬の旅。地上の荒廃した世界では戦いを繰り返し、一見平和な地下では徹底した管理社会の下、白塗りの人間たちの恐ろしい笑顔を貼り付けている。「アンダー・ザ・シルバーレイク」もやはり本作の影響を受けたのだろうか。性欲を持て余した少年が主人公の物語はいつでも受け付け難いが、皮肉屋な犬ブラッドの演技も素晴らしく、怖いもの見たさも含めぜひ一度は見ることをお勧めする。
アンナとカタ。ふたりの女性の顔がアップで映し出される。同じ食べ物や酒を注文して、不機嫌で不安な日々の中でも少しだけ笑う瞬間がある。結婚や子どもを持つというそれぞれの夢を互いに手に入れても、それは決して安心だとは言い切れないことを予感させる。これまでそうであったように、簡単にはいかないというこれからの人生の予兆。そんななかでふたりはきっと互いのことを何度も思い出すのだろう。名付け難い二人の関係に、名前など必要ないのだ。短い永遠を刻んだ名作。
強すぎてもはや人間ではなくなってしまったからこそ、孤独な少女の心は人間らしい姉弟との交流で痛みを感じるようになる。シリーズものの第1作を見ていなくとも本作だけでも豊富なアクションシーンを楽しむには十分見応えがある。とはいえ、さらに続篇があるうちの第2弾ということで、ストーリー的には途中までで終わってしまった感が否めない。血みどろだが生々しさはなく、少女が強すぎるのもリアルさには欠ける。身を委ねて、大画面で純粋にアクションに浸るのがいいだろう。
整備された美しい街並みが映し出される。ぱっと見てもわからないが、そこでは麻薬が子どもにまで売られ、宗教対立で争い、死の影が手を伸ばす。不穏な状況だからこそ、子どもたちは自分で考える力が必要になる。友人とは、暴力とは、死とは。少年たちに問いかけながら大人も一緒に考える。大人はきちんと大人として存在している。子どもを守ることが基本的な大人の役割だということを再認識する。少年たちはまるでカメラを気にしていない。彼らの瞳の先にあるのはいつも人間なのだ。
SFの顔をした寓話だが、何の寓話かというと、男同士の絆をめぐるもの。第4次大戦の影響で世界は荒廃。遺伝子の異常で女性が生まれず、男性ばかりになった未来を舞台にした、少年と犬のブロマンス。これはディストピアというよりホモソーシャルのユートピアであり、少年と犬の仲のためには女の犠牲が必要という話でしかない。女をレイプしながら罠にはめられただとか、レイプされた女が少年に恋をするとか、ミソジニーの典型が随所にちりばめられているのもそれゆえである。
クロースアップが印象に残る。見たくないものを画面外に追いやるためではない、あくまで注視のために使われるクロースアップ。工場での作業風景を捉えた素晴らしい導入はその宣言である。木片を削って滑らかにしていく熟練の手つき。木粉にまみれた手と肘と腕。女たちの顔は作業を捉えるのと同様の接写で画面に収められていく。家父長制に依拠しないカップルや家族のあり方の探究は本作では疑似母娘を思わせる連帯を生む。その関係性は「マリとユリ」に引き継がれるだろう。
「The Witch 魔女」(18)の続篇。前作の最後で匂わせられていた姉の話である。だが3作目への中継ぎに徹していて、1作目を好んだ観客でも不満が残るのではないか。前回はあくまでアクセントとして使われていた「超能力」が全面展開し、それゆえアクションが骨抜きにされ、活劇的な魅力が失われた。また一カ所に人を集める作劇は常套だが、そこにいたる展開は平坦そのもの。女性が屋敷の前でショットガンを構える、というのはいかにもシネフィルが好みそうではあるが。
コロナ禍で学校が閉鎖される、その場面の撮り方。入口のシャッターが下ろされるのを校舎の中から捉える。校門に鍵が掛けられ、車が走り去るのを校庭側から撮り、鍵がクロースアップで強調される。いずれの場合も、クルーが撮影後に外に出るべくシャッターと校門の鍵はすぐに開けられたわけで、不要な作為だと思う。序盤から違和感を覚えていたが、私はこのあたりで見限った。こういう小細工が披露されると、すべてが茶番に見えてしまう。カメラの前で演じ直されただけの現実。