西日本最大の組織を誇る中島組。その事務所に、新興企業グループの専務・島原が訪れたのは、昭和四十一年秋のことだった。中島組会長の佐倉に、社長のスキャンダル問題の解決を依頼、その代償として、西日本優良企業による、半永久的な献金組織の設立を申し出る。しかし、中島組の若頭・辰巳は、あくまでも暴力による全国制覇の夢を抱きつづけていた。そして、いつか佐倉を日本の首領にしてみせると誓っていた。一方、佐倉にとっての泣き所は、そのファミリーだった。二人の娘、姉・登志子は青年医師・一宮恭夫との恋に父親の存在が障害であることを口にし、妹・真樹子は奔放な性格で、無軌道なふるまいで悩ませた。佐倉は、登志子を島原の養女として、一宮との結婚にこぎつけた。結婚式には党人派の小野伴水、右翼の大物の大山規久夫も顔を出した、盛大な結婚式の裏側では、中島組の武力進攻が続いていた。西から東へ、辰巳の意図を受けた暴力部隊は日本地図を血で染めていった。進攻の行きつくところ、それはいつか東京の組織との決定的な対立になることは、明白だった。大山の政治結社結成の申し出を、やくざであることを自認する佐倉が拒絶したことで、事態は決定的となっていた。どこまでも武力に頼る辰巳の限界、娘・真樹子の麻薬トラブル、そして組織暴力壊滅を目指す、警察権力。中島組傘下の各組は、追いつめられ、次々と解散声明を発表した。そして、佐倉の腹心である辰巳までも持病の悪化と警察の締め付けから、佐倉を救い得る唯一の道は、解散しかないと覚悟する。佐倉の許しを得ず、辰巳は、病床で解散声明を書こうとする。しかし、今はファミリーの一員となった一宮が、辰巳に多量のモルヒネを注射した。辰巳組解散を聞き、警察や報道が病院に押し掛けるが、辰巳は息を引きとった後だった。