上野池の端にある“糸屋新堂“は八代も続いた老舗であった。八代目の当主平七が亡くなって四十九日目の法要に遺言書が開かれた。それには三人姉妹--藤代、喜久子、桃子のうち、糸屋の家業を継ぐにふさわしい者を聟とした娘に店を相続させる旨が記されてあった。長女の藤代だけが正妻の子であったが、喜久子と桃子は妾腹で、芸者上りの、はつが二人の母親だった。はつは今、浜町の、料亭のおかみにおさまっていた。また糸屋の店には、持井啓二という亡き正妻の親類筋の男がいた。彼は糸屋の支配人格で秘かに藤代を慕っていた。糸屋の遺言書のことを知った啓二は、藤代に結婚して二人で糸屋をやっていこうと言うのだった。糸屋の大坂進出を機会に、藤代は帯の下絵のデザイナー勝間謙吉に会った。彼の父曽我も関西での紐作りの名人であった。藤代は新しい帯締創作のために、さらに奈良にも足をのばすが、彼女はそこで東京から追ってきた啓二と結ばれた。他方ステュアデスの桃子も勝間に近づくが、藤代を愛していることを知って失望したが諦め切れなかった。糸屋新堂の秋の旅行が箱根に決まった。その一夜、謙吉は、はつの周到に打った芝居に引っかかり喜久子を抱いた。三カ月後、彼女の妊娠が判り、啓二は喜久子と糸屋を継ぐことになった。桃子は母はつを激しく責めたが後の祭りであった。暖かい冬の一日勝間と藤代が組んで京都で催した創作ファッション・ショウは大成功だった。その日桃子は勝間を思うあまり、琵琶湖のホテルで多量の睡眠薬をのみ、そこへ駆けつけた藤代に「ごめんなさい……お姉さん……私たちが貴女の幸せをメチャメチャにしてしまって」と、一命をとりとめた桃子は涙ながらに謝まるのだった。喜久子と啓二、桃子と勝間。たった一人残された藤代は勝間の父曽我を再び信楽の里に訪れ、「糸屋を出て、一人紐作りに生命を賭けて生きていこう」と心に決めるのだった。